「やっと出会えた…」早まった出産で、赤ちゃんがもたらした最大のサプライズとは

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新しい命をお腹に宿し、赤ちゃんとともに過ごす十月十日。

花冠をつけて、マリア様のようにやわらかく微笑むマタニティーフォトの裏側には、さまざまな物語がある。

たくさんの笑顔と涙に彩られるマタニティーライフ。

あなたに会える、その日まで。

◆これまでのあらすじ

市川優は、独立したばかりのテキスタイルデザイナー。結婚5年目の33歳だ。

切迫流産での入院や、母親の孫フィーバーと、前途多難だ。

いよいよ臨月を迎えた優は、突然破水してしまい…。

▶前回:「父親は授乳に口出ししてはいけない」育休中に夫に突きつけられたタブー

―もし突然破水したら、慌てず騒がず、ここに連絡してね。正産期を迎えていれば、順調にお産に繋がるから安心して。

先日の検診での、玉木医師の言葉だ。

突然の破水に見舞われた優は、一瞬パニックに陥りながらも、必死に玉木医師とのやりとりを思い出した。

臨月に何かトラブルに見舞われたらどれほど混乱するか、自分の性格からよく分かっていた優は、覚悟も入院の準備もできていた。

むしろ当の本人である優の方が、おろおろする亮介に「大丈夫よ」と声をかけて落ち着かせるほどだ。

深呼吸すると優は、出産予定の病院に電話をして状況を伝える。すぐに電話を替わった玉木医師が、

「入院の準備をして、とにかく病院にいらっしゃい。本当の破水だったらこのままお産になるかも。少し早めに赤ちゃんに会えるだけよ。大丈夫だから落ち着いて」

と、優しい言葉を掛けてくれた。

−玉木先生を信じてここまでやってきたのだから、大丈夫。

電話を切った後も、優は自分に言い聞かせるようにそう何度も心の中で呟く。

「行こう。亮介」

家を出る前、優は足を止め振り返ると部屋を見渡した。

「どうした?お腹痛いのか?」

そう問いかける亮介に、優は答える。

「ううん。妊娠中、いろんなことがあったなって…」

いよいよ病院に到着。診察を受けた優は?

不妊治療や切迫流産での入院。もともと相性の良くなかった実母のとの溝が深まったことなど、辛いこともあった。

それでも、やはり、マタニティーライフは幸せに満ち溢れていた。仕事人間だったはずの夫の育休取得には愛を感じたし、仲間たちの思いやりも実感した。玉木医師や、先輩ママとなった夏実との、素晴らしい出会いもあった。

これまでの日々を思い出し、胸がいっぱいになる。

―今までもたくさんのことを乗り越えてきたもの。だから、大丈夫。無事に会える。

「私が次にここに戻るときは赤ちゃんと一緒なんだって思うと、感慨深くて」

胸が熱くなった。大きなボストンバッグを抱えた亮介は、「そうだね」と相槌を打ち、そっと優の背中に手を当てた。

病院へ向かう車の中で、亮介はこう言った。

「こうして病院に向かっていると、切迫流産で病院に行った日を思い出すよ。あのときは優を励ますことで精一杯だったけど、今は優の方が堂々としてる」

優も同じことを考えていた。あの日のことがまるで遠い昔のようにも、昨日のことのようにも思える。

「妊娠の可能性が低いって言われて、一番後回しにしていた受精卵がまさかの陽性。初期の大量出血も乗り越えて、ここまで元気に育ってくれたたくましい子だもの。絶対に無事に生まれてきてくれる」

病院が近づくにつれ、お腹が定期的に張り始める。きゅーっとした痛みが長く持続するようになり、診察室に到着するやいなや現れた玉木医師に、優は伝えた。

「お腹の張りが…規則的になってきて…」

診察台に横たわる優に、玉木医師は笑顔で言う。

「赤ちゃんはとっても元気よ。心拍もしっかりしてる」

「よかった…。ほっとしました」

「本当の破水みたいだし、その張りは陣痛の始まりだと思います。12時間以内に本陣痛が来るはずだから、出産に備えましょう。準備はしてきてるわよね」

「はい。36週で早いですが、大丈夫でしょうか」

「推定2,500g超えてるから、大きさは十分よ。保育器に入ってもらうことにはなるけど、安心して出産しましょう。ただし…」

そう言うと玉木医師は時計を見た。時刻は21時過ぎだ。

「麻酔科の先生の手術が重なっていなければ良いけど…急にお産が進んだら無痛分娩は難しいわ」

ここの総合病院は、麻酔科の医師のスケジュールに合わせて無痛分娩を行なっている。外科手術の都合があるので、自然な陣痛を待つ無痛分娩ではなく、基本的には前もって予定した計画無痛分娩となっているのだ。

玉木医師は「一緒に頑張りましょう」と優の手を握り、亮介に向かって「しっかり奥さんを支えてあげてね」と伝えた。

優は「本陣痛が来る前に」と看護師に促され、出産前最後となるシャワーを浴び、身も心もすっきりする。亮介は一旦自宅へ戻り、優は病室で穏やかな気持ちで過ごすことにした。

―無痛分娩のつもりだったから不安もあるけど…

「こうなったら、好きなタイミングで生まれておいで。チビ子ちゃん。ママ、頑張るから」

そっとお腹に触れながら話しかける。お腹の中の子供と一緒に過ごせるのもあと半日。早く会いたいといつも願っていたはずなのに、どこか寂しくもある不思議な感覚だった。

お産が近づく中、再びのトラブルが…!

なんとなくウトウトと覚醒を繰り返してしまう。「お産はとにかく体力勝負だから、少しでも今のうちに寝てくださいね」と看護師に伝えられていたものの、微妙な張りと痛み、そして緊張感で、到底ぐっすり眠れるわけもない。

さまざまなことを考える中で、当然、実母の顔も浮かぶ。本来であれば、いよいよ出産になるということは伝えるべきなのだろう。

でも、実母のことだ。きっと止めたところで強引に病院に押しかけて来るだろうし、無神経な発言をするだろう。無痛分娩を希望していたことすら伝えていない状態では、言い合いが起きてしまう可能性すらある。

優は、自分と赤ちゃんのために、実母には事後報告することを決めた。産んですぐではなくても、優の心が整ったときに伝えるつもりだ。幸い、もともとの予定日まで1ヶ月近くある。今は余計なことを考えず、とにかく穏やかな気持ちでお産を迎えることに集中したかった。

仮眠を繰り返しながら朝を迎え、いよいよ陣痛の間隔が狭くなって来る。そんな折、陣痛室に玉木医師が笑顔で現れた。

「市川さん。麻酔科の先生のスケジュールを確保してきたわよ。陣痛の波を見ながら、麻酔を投与しましょうね」

駆けつけた亮介と一緒に、優は分娩室へ向かった。

麻酔も順調に進み、痛みのコントロールができている中で、いきむタイミングを見つけていく。強い生理痛程度の痛みだったので、玉木医師や亮介と談笑する余裕もあった。

しかし、いきみはじめてから2時間、3時間経っても、赤ちゃんが出てこない。最終的には屈強な男性医師たちにお腹の上に乗って圧迫されるが、分娩には至らなかった。

「うまくいきめてるんだけど…赤ちゃんが、骨盤に引っかかってる」

玉木医師も助産師たちもいよいよ焦り始め、優も不安で胸が張り裂けそうになる。亮介は、自然と優の手を握った。

「頭も見える。髪ふさふさだよ。お耳も見えそう。もう少しなんだけど、斜めにはさまっちゃってるな」

そう説明する玉木医師に、優はたまらず「赤ちゃんは無事ですか?」と問いかけた。

「大丈夫だよ。…ただ、赤ちゃんの心拍が上がってきちゃった。ちょっと苦しそうだから、帝王切開しましょう。今、同意書を用意するから」

帝王切開という想定外の言葉に、衝撃を受ける。でも今は、とにかく早く赤ちゃんを出してあげたい。その一心で優は、玉木医師の決断に身を委ねることにした。

さまざまな書類に亮介がサインをする中で、優はストレッチャーに乗せられて手術室へ運ばれていく。

急な事態に完全に思考が停止し、言葉が何も出ない。新たに麻酔が入れられ、ぼんやりとしていく意識の中で、玉木医師があえておどけて言ってくれた言葉が印象に残った。

「市川さん、横に切るから安心してね。パンツで隠れるから、ビキニも着れちゃう。赤ちゃんはとっても元気だから、すぐに一緒にリゾートに行けるよ」

混乱に陥る優のために、そんな冗談を言ってくれたことが嬉しく、優も薄れ行く意識の中で、精一杯こう返した。

「傷があってもなくても、ビキニ着る予定ありません」

緊急帝王切開という展開に優は?

どんどんぼんやりとする意識の中で「おめでとうございます」「とても元気ですよ」という言葉が、遠くで聞こえる。

そして、一瞬うす目を開けた優の目の前に、まんまるとした赤ちゃんが現れた。

―やっと、会えたね。

元気に生まれたというこをと確信し、優は再び目を閉じた。

何時間眠ったのだろうか。窓から差し込む夕日の眩しさに目が覚める。

手の温もりに気づくと、傍らで亮介が優の手を握っていた。

「…亮介」

「優、おめでとう。よく頑張ってくれたね」

亮介は目を潤ませながら、優の額を撫でた。

「うん。ありがとう。ねえ、チビ子ちゃんは?」

「え?」

「だから、チビ子ちゃん…元気なの?保育器に入ってる?」

優がまだぼんやりとした頭でそう繰り返すと、亮介はクスクスと笑い始めた。

「何がおかしいの?」

「えーと、チビ太くんなら元気だよ。2,830gで、早産にしては大きいって驚かれた」

優は仰天し、素っ頓狂な声をあげた。

「…チビ太くん?男の子なの!?」

どういうわけか、途中から女の子だと思い込み、チビ子ちゃんと呼んでお腹を撫でていた。妊娠して以来、自分がピンクや花柄、スウィーツが好きになったのは、お腹の赤ちゃんが女の子だからだと思っていたのだ。

驚きは、次第に喜びに変わり、2人で手を取り合って大笑いする。

「やっぱりサプライズ好きだったわね」

そう言って笑う優の元に、玉木医師がコットという新生児用のキャリーベッドに赤ちゃんを乗せて連れてきてくれた。

「大変だったわね。でも、赤ちゃん大きめだったから、予定日まで待っても帝王切開だったかもしれない」

「はい。本当にありがとうございました」

「さ。抱っこしてあげて。一応早産だし、また保育器に戻ってもらうことになるけど、少しなら大丈夫よ」

玉木医師の腕から受け取った、はじめての命の温もり。

凛々しい眉毛が特徴的な、男の子だ。

「生まれたばかりでも、やっぱり男の子の顔ですね」

「私はとっくに分かってたから、うっかり伝えないようにドキドキしてたわ」

優と玉木医師は、そんなことを話しながら笑った。

「次、お産する機会があれば、また玉木先生にお願いしたいです」

「もちろんよ。昨日産んだばかりなのに、ずいぶん気が早いのね。さ、気が済むまで抱っこしたら、ナースコール押してちょうだい」

そう言って、玉木医師は家族3人の時間を設けるために病室を後にした。

腕の中で眠る赤ちゃんを見るだけで、こみ上げる愛おしさに優の胸は熱くなる。

「この子の名前なんだけど、俺から一文字とって、“介”の字を付けるってどうだろう」

「え?中性的な名前に憧れるって言ってなかった?私は漢字一文字が良いな」

以前から、子供の未来のためにゆっくり考えようと言っていた名付けだが、生まれてしまった以上、そう悠長なことも言っていられない。

2人が意見を交わしていると…

「あ。赤ちゃんがあくびした」

「堂々としてるな」

「よろしくね。チビ太くん」

たくさんの出会いと喜び、少しの痛みに彩られたマタニティーライフはハッピーエンドを迎え、ここから新しいステージが始まる。

優は、赤ちゃんに頬を寄せた。

これからどんなに辛いことが待っていたとしても、お腹の中で大切な命を慈しんだ日々は、優をきっと支えてくれるだろう。

―あなたに、会いたかった。

優は、お腹を撫でていた日々を思い出しながら、そっと“チビ太”の頰を撫でた。

END

▶前回:「父親は授乳に口出ししてはいけない」育休中に夫に突きつけられたタブー

▶vol.1:あなたに会える、その日まで:結婚5年目33歳。待望の妊娠。幸せと同時に訪れた違和感とは?