ゲームミュージックの時代【2】ファミコンの登場とロールプレイングゲームの音楽 1983年 7月15日 任天堂の家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売された日

『ゲームミュージックの時代【1】アーケードゲームの普及と黎明期のピコピコサウンド』からのつづき

1983年、ファミコン登場で大きく変わったゲーム音楽

ゲーム音楽の世界は、1983年に発売されたファミコン(ファミリーコンピュータ)の登場によって大きく変わることになった。

ファミコンの初期のソフトには『ドンキーコング』や『ロードランナー』などのアーケードゲームから移植されたアクションゲームやシューティングゲームが多かった。人気シリーズとなる『マリオブラザーズ』も、1983年にアーケード版が発表された後すぐにファミコン版も登場している。

ファミリーコンピュータでは音声機能も進歩し、3音の同時発音が可能となったため、和音や複雑な音楽表現が可能になった。そして、『マリオブラザーズ』ではモーツアルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』のメロディが使われたり、アクションゲームの『デビルワールド』(1984年)ではチャイコフスキーの『くるみ割り人形』のメロディが使われるなど、音楽を使ってゲームの演出効果を上げるという動きが生まれていく。

当初のファミコンはアーケードゲームが自宅で出来るというのが売り物だった。しかし、次第にアーケードのアクションやシューティング以外のゲームソフトが登場していく。たとえば『ポートピア連続殺人事件』(1985年)『オホーツクに消ゆ』(1987年)に代表されるアドベンチャーゲームの多くはパソコンゲームから移植されたものだった。

プレイヤーにも大きな変化をもたらしたロールプレイングゲーム(RPG)

パソコンゲームからはロールプレイングゲーム(以下RPG)も移植された。その代表作として、アメリカで人気が高かった『ウイザードリィ』は1987年にファミコンに移植されている。そして、この前後には『ゼルダの伝説』、『ドラゴンクエスト』(1986年)、『ファイナルファンタジー』、『女神転生』(1987年)など、ファミコンオリジナルのRPGも次々と発表されていった。

アドベンチャーゲームやRPGの登場は、プレイヤーにも大きな変化をもたらした。もともとゲームセンターで遊ぶ前提のアクションゲームやシューティングゲームは、かなり上級者にならなければゲームの所要時間はそれほど長いものではなかった。しかし、長編の謎解きゲームであるアドベンチャーゲーム、さらにはプレイヤーが主人公になって冒険の旅に出るRPGになると、プレイ時間が一気に増加し、エンディングにたどり着くまで何日もかかるようになった。

アーケードゲームはちょっとした短い時間で遊ぶものだったが、ファミコンのアドベンチャーゲームやRPGは、長編小説に取り組むように、じっくりと時間をかけて楽しむものとして受け入れられていった。

プレイの邪魔をしない完璧なゲーム音楽とは?

そのことがゲーム音楽にも大きな影響を与えたのではないかと思う。僕自身、反射神経を使うシューティングやアクションゲームより、物語性が楽しめるRPGの方が好きだった。しかし、ゲームのプレイ時間が長くなるということは、一度通過した場所を何度も訪れたり、戦闘場面も相手が強ければ何度もやり直さなければならなかったりすることでもあった。そんな反復の時に気になって来たのが音楽(効果音)だった。

ゲームによっては、“この音楽ちょっと五月蠅いな” とか、“もうこの曲は飽きたな” とか音が耳に触るようになって、ゲームを続けるモチベーションが削がれることも起きてきた。そのおかげで、僕はゲーム音楽に必要な要素の特殊さを感じた。

ゲーム音楽は、ただ “音楽” としてかっこ良ければ良いわけではない。それは映画音楽やドラマの音楽と同じように、物語をより効果的に彩る “付随音楽” なのだけれど、同じ音楽が反復される度合いが圧倒的に多い。そのために、その部分の音楽が気になってくると、プレイヤーの邪魔をしてしまうことにもなりかねない。ゲーム音楽には、プレイヤーにゲームをより魅力的に感じさせるとともに、プレイの邪魔をしないという繊細さ、繰り返しても飽きない強靭さも必要になるのだ。

すぎやまこういちが手掛けた「ドラゴンクエスト」

その意味で、僕がプレイをしたRPGの中で完璧だと思ったのが『ドラゴンクエスト』だった。オープニングのファンファーレ、宮廷や町のBGM、さらにはダンジョン(洞窟)や戦闘シーンなど、ゲームの臨場感を盛り上げながらまったくプレイの邪魔をしない音楽で彩られていた。

この音楽を手掛けたのは、すぎやまこういち。ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、ザ・タイガースの「モナリザの微笑」、ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」、ガロの「学生街の喫茶店」など多くのヒット曲を手掛けた大物作曲家だ。

しかし、すぎやまこういちの起用は決して話題づくりが狙いではなかった。彼は日本バックギャモン協会の名誉会長を務めるなど日本有数のゲームマニアであり、ゲーム音楽になにが必要なのかを熟知している稀有な作曲家だった。

プレイヤーにとってストレスのない、作品と一体となったゲーム音楽

すぎやまこういちは、中世西洋の騎士物語をモチーフとする『ドラゴンクエスト』の世界に入り込みやすい雰囲気を演出するた、クラシックをモチーフとして曲をつくった。ファミコンの3音の同時発音機能を巧みに使って作られたそのサウンドは、それぞれのシーンにぴったりフィットして、ゲームの楽しさを盛り上げていった。しかも、同じシーンを何度プレイしても五月蠅いと感じることもない。まさに、それは理想のゲーム音楽であると同時に、壮大な物語を表現する完成度の高い組曲になっていた。

それまでゲーム音楽は、ある程度の音楽知識があるソフト開発会社のプログラマーが手掛けるのが普通だった。しかし『ドラゴンクエスト』は、ゲームに求められる音楽とはなにかを理解している作曲家が音楽を手掛けることで、印象的でありながらプレイヤーにとってストレスのない音楽をつくりあげることに成功したのだ。

すぎやまこういちは、その後も『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽を手掛け、第一作の楽曲を生かしながらその世界観を発展させていった。その音楽はゲームプレイヤーに圧倒的に支持され、サウンドトラック、さらにオーケストラ版のCDも発売されヒットした。僕も、このアルバムを聴いた時、メロディが変わるごとに、自分がその場面をプレイしていた時の気持ちが鮮やかに蘇ってきた。アルバムを聴きながら、自分がクリアしたゲームを追体験している気分になったのだ。知らないうちに、作品と一体となったゲーム音楽がしっかり刷り込まれていたことに改めて驚いた。

植松伸夫が手掛けた「ファイナルファンタジー」

『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽と同じような満足度があったのが『ファイナルファンタジー』だった。『ファイナルファンタジー』の音楽を手掛けた植松伸夫はゲームを開発したスクウェアの社員だった。しかし、彼はプログラマーではなく、最初から音楽制作のために入社した “音楽畑” の人間であり、開発スタッフと共同作業をしながらよりおもしろいゲームにふさわしい音楽を追求して、この作品をつくりあげていった。

『ファイナルファンタジー』の音楽も、僕のプレイ中のテンションを上げてくれるものだった。『ドラゴンクエスト』がバロック音楽のテイストだとしたら、こちらはロマン派という感じで、ロマンティックで美しいメロディがゲームのテイストによくフィットしていた。ファミコンのスイッチを入れ、オープニングのキラキラしたサウンドが流れると、そのままゲームの世界に引き込まれていくようでワクワクしたのを今でも覚えている。

『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』の2作によって、RPG音楽のベーシックは確立したのだと思う。その後、ムーンライダーズの鈴木慶一が音楽を手掛けた『MOTHER』(1989年)など、ミュージシャンがゲーム音楽を手掛けるケースも増えていき、話題となった作品もいくつも生まれていった。しかし、僕の正直な感想としては、ファミコン時代のゲーム音楽は『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』にとどめを刺すと思う。

スーファミ、プレステの登場! 新たなステップに入っていくゲーム音楽

1990年、次世代ゲーム機としてスーパーファミコンが発表される。ファミコン時代にはハード的限界や、ソフト開発におけるプライオリティで音楽に使えるデータ容量が少ないなどの制限から、音楽づくりには大きな困難があった。しかし、スーパーファミコンは8音の同時発音が可能で、PCM音源サンプリング機能も搭載されていた。これによって音楽表現の可能性は飛躍的に広がった。

例えば『アクトレイザー』(1990年)の古代祐三が手掛け生演奏のようなサウンドが話題になるなど、新たなゲーム音楽のアプローチも生まれていった。さらに1994年にはソフトにCD-ROMを採用したプレイステーションが登場。これによって、実際の演奏やヴォーカルもソフトに入れられるようになり、ゲーム機と通常の音楽CDとの音質的な差は無くなってしまった。

そしてゲーム音楽自体も、音楽そのものをテーマにしたゲーム、音ゲーが誕生するなど、1990年代以降のゲーム音楽は新たなステップに入っていく。

カタリベ: 前田祥丈

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