「来年は大きな波を」/八戸小唄流し踊り 50回目の節目中止/関係者、意欲新たに指導

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泉紫峰さん(右)は、ひ孫の西山なずなちゃん(中央手前)を新たに加え、娘の彩菜さん(中央奥)、孫の寿々菜さん(左)と4世代での共演を楽しみにしている=7月9日
八戸市中心街で初めて披露された八戸小唄流し踊り。当時市内に17あった婦人会のメンバー約千人が、そろいの浴衣と編みがさをかぶって踊った。沿道には約5万人の観衆が集まったという=1971年8月3日
1999年の八戸小唄流し踊り。この年から動作が滞ることなくスムーズに前進する振り付けになった

 青森県八戸市に夏祭りシーズンの到来を告げる「八戸小唄流し踊り」(東奥日報社主催)。八戸七夕まつりの前夜祭を彩る催しとして、1971(昭和46)年から開かれてきた。約千人の踊り手たちがそろいの浴衣姿で繰り広げる優美な舞は、ゆったりとうねる波にも例えられる。今年は50回目の節目だったが、新型コロナウイルス感染防止のため、七夕まつりともども中止となった。「再び大勢で大きな波をつくりたい」と、関係者は来年へ向けて意気込んでいる。

 「夏が来ないかのようでさみしい」。そう話すのは、日本舞踊泉流師範の泉紫峰さん(75)だ。紫峰さんは、流し踊りに市内の日本舞踊各流派が加わった74年から参加している。「舞台上で踊るだけでは味わえない、大勢で踊る楽しみに目覚めたんです」

 その思いをより多くの人に感じてほしいと、紫峰さんは長年にわたって、娘で同流師範の泉彩菜さん(49)と、初心者を対象にした講習を行っている。

 八戸小唄流し踊りは、八戸の名を全国にPRするために作られた八戸小唄が31(昭和6)年にできてから40年を記念して誕生した。八戸小唄は三橋三智也などが歌い、全国的に知られていた。小中野や鮫の芸者の間では、お座敷で披露する踊りの定番となっていたものの、市民がこぞって踊ることで観光の柱に育てたい-と市などは考えた。

 そのためには親しめる振り付けが必要だった。芸者の踊りは回る所作が多く、前に進む流し踊りに向かない。そこで初開催の数年前から八戸市連合婦人会(現・八戸市地域婦人会)などが中心となり、新たな振り付けを考えた。三つの候補から選んだのは、流し踊りにしてはテンポが遅く、足運びなどが一番難しいバージョンだった。

 同婦人会の古里ツセ代表(83)は「当時の会員はほとんどが主婦で、踊りに関して素人。あえて難しいものにしたのは、八戸小唄の趣を生かしたいという心意気だったのではないか」と推し量る。

 ところが時代が移り変わると、中心街を長時間にわたって交通規制することが難しくなった。かねての、ゆったりとしたテンポが問題になった。今度は紫峰さんなど舞踊の師範たちが集まり、動作が滞ることなくスムーズに前進する振り付けに改良し、1999年にお披露目した。古里代表は「小唄流し踊りが根付き、長く愛されてきたのは、時代ごとに柔軟に変化してきたからでしょう」と話す。

 流し踊りに魅せられる人たちも増えている。近年は市民有志や地元企業のほか、八戸学院大学短期大学部の学生たちが参加するようになった。授業の一環として練習を重ね、本番当日が成果披露の場になっている。今年は八戸工業大学の学生が新たに加わる予定だった。指導にあたる彩菜さんは「社会人になっても引き続き踊り手として参加する人も増えている。流し踊りが地域との交流の場として成長している」と話す。

 紫峰さんはこれまで彩菜さん、孫の泉寿々菜(すずな)さん(31)と共演を果たしている。来年はひ孫の西山なずなちゃん(5)を加え、今年かなわなかった4世代での出演に意欲を見せる。「流し踊りの華やかな雰囲気を、なずなと共有したい」という。

 八戸中心商店街連絡協議会の松井正文さん(59)は「中心街がにぎやかになる催しだけに中止は残念。来年は今年の分も盛り上げたい」と語る。古里代表は「それぞれが八戸小唄流し踊りへの思いを新たにしていると思う。またみんなで大きな波をつくれる日が待ち遠しい」と話していた。