貴重な資料数多く所蔵 長崎・江崎べっ甲店 江戸時代の領収書と鑑定書など

 長崎市の創業311年の老舗、江崎べっ甲店(江崎淑夫社長、6月に閉店)には、先月同店で新たに2冊の所在が確認された「今魚町宗旨改(しゅうしあらため)踏絵帳」計68冊の他にも、江戸時代からの、べっ甲の歴史を伝える資料をはじめ意匠を凝らしたべっ甲製品、商売の帳簿や珍しい古写真など、歴史的に貴重な資料が数多く所蔵されている。その一部を紹介する。

大極上笄代金の領収書(右)と鑑定書

 「覚」と筆書された書面は、現在の領収書に当たる。大極上のべっ甲笄(こうがい)1本の代金が「金子拾弐両壱歩」と書いてある。笄は、女性が日本髪の髷(まげ)に挿して使う髪飾り。金子12両は、現在の金額で約120万円。「鼈甲大極上正明請合」と記された鑑定書も添えられている。この高価な髪飾りの購入者は分かっていない。長崎史談会の原田博二会長は「太夫(たゆう)など花魁(おいらん)か豪商の奥方たち、あるいは金額から大名たちへの献上品とされたのではないか」と想像する。

 明治時代のロシア人との商売の帳簿「魯客品物借方控帳」、「日露貿易見本控帳」も残っている。明治期にどんなべっ甲製品が輸出向けに生産されたかなど、同店とロシア人との盛んな取引の状況が分かる資料だ。

ニコライ2世が贈った直筆サイン入りの写真

 ロシア語で「親愛なる江崎よ!」と直筆サインが書かれているというロシア皇太子ニコライ2世の写真は、皇太子と同店との親交の証し。帝政ロシア最後の皇帝となったニコライ2世は、皇太子だった1891年に訪日した際、べっ甲に魅了され同店を訪問。その後に向かった大津市で、警備の巡査に切り付けられ負傷した大津事件の際には、当主の5代目栄造(1843~1912年)がカステラを持って見舞ったとされる。

1937年パリ万国博覧会でグランプリを受賞した「鯉の置物」

 1937(昭和12)年にパリで開かれた万国博覧会でグランプリを受賞したという「鯉の置物」は、うろこの一枚一枚や、なびくようなひれの動きが細やかに表現され、今も光沢を放っている。このほか、同店最大級のべっ甲製品である総べっ甲づくりの茶棚や、「上野彦馬撮影局開業初期アルバム」など貴重な古写真も多数ある。

江崎べっ甲店最大級の総べっ甲づくりの茶棚

 1898年に建設された店舗は解体されるが、これらの所蔵品は別の場所に移して保管している。


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