六甲山にあった大坂城の採石場 100万個以上、石垣の半分築く

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市道臨港線沿いに置かれている出雲松江藩の記号が彫られた刻印石=芦屋市呉川町

 江戸時代前期の1620~29年、兵庫県芦屋市を中心に同県西宮市、神戸市にまたがる六甲山地東部は、大坂城(大阪城)の石垣を築くための採石場だった。「徳川大坂城東六甲採石場」と呼ばれるこの地で採石が開始されてから今年で400年。節目を迎え、芦屋市の学芸員は「改めて芦屋と大阪城のつながりを知ってもらいたい」と話す。(名倉あかり)

 現在の「大阪」の漢字が使われるようになったのは明治からで、それ以前は「大坂城」。豊臣秀吉が築いた城として知られるが、現在の城は江戸幕府の2代将軍徳川秀忠と3代将軍家光が再建したものだ。

 築城に際し、幕府は西日本の諸大名に工事を命じ、各藩は瀬戸内海を中心に各地で大坂城の石垣に用いる石材を集めたという。

 大坂城の石垣に使われた石材の数は100万個以上。その約半数が徳川大坂城東六甲採石場から運ばれた。大坂城の採石場としては最大規模という。石には大名や藩などを示す「刻印」が彫られている。

 石材は、山中などで切り出され、海辺まで持って行き、大坂城へと運ばれた。その途中でこぼれ落ちた石は現在も宮川の川底や市立美術博物館の前庭など、市内15カ所で見ることができる。

 採石場跡は1968(昭和43)年、芦屋市の学生らでつくる歴史研究団体「芦ノ芽グループ」が調査を開始。数年にわたり刻印石の分布調査などに励んだ。

 同グループで活動していた同市の郷土史家、藤川祐作さん(76)は「仲間と毎週のように山歩きをした。自分たちの研究が何年も語り継がれるものになるとは」と喜びを語った。

 同市生涯学習課の学芸員、森山由香里さん(29)は「採石場跡は全国にあるが、市民グループが発見したのは珍しい例」とする。

 採石開始から400年となる今年、芦屋市は現地見学会などのイベントを企画していたが、新型コロナウイルスの影響で来年に延期になった。森山さんは「市内に点在する刻印石を見て回り、地域の歴史を感じてほしい」と話している。