離婚後、再会からの再婚「彼女に何があったのか?」給料を知って聞けたホンネ

夫の言動が原因となって離婚はしたものの、前夫と再会、そこから元の鞘に収まることは稀かもしれません。でも、夫が変わったことを実感できた女性は、再婚の道を選びました。


出世するたびに口が悪くなっていった夫

「結婚したときはいい人だったんですよ。仕事が厳しかったんでしょうか、出世していくに従って口が悪くなって。ストレスを全部私にぶつけていたのかもしれません」

そう言って苦笑するカオルさん(42歳)。13年前に友だちの飲み会で2歳年上の彼と知り合って、半年足らずの交際で結婚しました。

「すぐに子どもができました。年子だったので大変でしたね。夫は仕事に忙殺されていたので、私は今で言うワンオペ状態。それでも保育園に預けたり、近所のママ友に助けてもらったりしながら仕事も続けました」

夫はかなり優秀だったらしく、同期の間でも出世頭でした。その代わり、平日はほとんど終電、週末も上司のおつきあいでゴルフ。泊まりのこともありました。久しぶりに家にいるなと思うと、仕事がらみの勉強をしていたそう。努力の人だったことは確かです。

「たまには子どもたちをどこかに連れていってよと行っても、『無理-、ごめん』と。子どものことはかわいがっていましたけど、彼の頭の中は仕事だけだったんでしょうね。長男が数えで5歳のときに下の娘の3歳も一緒に七五三をしたんです。なのに夫は急な仕事で来られなくなった。さすがにこんなに仕事一筋で、子どもの成長も一緒に味わえないなんてと不満が募りました」

しかも出世するたびに、夫の態度は尊大になっていったそうです。七五三のことで夫に不平を言うと、「じゃあ、オレと同じだけ稼いでみてくれる?」と夫に見下されました。

「あの言葉は忘れられなかった。じゃあ、私と同じくらい子どもと関わってよと思いました。給料の多寡だけでそういうことを言うなんて信じられなかった」

時短で働いていたこともあって、確かにカオルさんの給料は夫にはとうてい及ばない額でしたが、彼女は夫の言葉にショックを受けました。
夫は息子の入学式にも来ず、翌年の娘の入学式にはほんの5分ほど顔を見せて慌ただしく仕事に行きました。完全にワーカホリックに陥っていたようです。

「あるとき息子がそのころ行っていたスイミングを辞めたいと言い出したんです。サッカーもやっていたので、どうしてもサッカー1本に絞りたくなったらしくて。それを聞いた夫、『スイミングにいくらかかったと思ってるんだ』と。途中で辞めることを諫めるならともかく、金の話かと私のほうが頭に来ちゃった。『そういう話じゃないでしょ』と言ったら、夫が『おまえら、誰のおかげでこんないいか生活ができると思ってるんだ』と。ああ、もうダメだなと思いました。それを言ったら終わりです」

彼女はその数日後、夫に離婚を申し出ました。すでにサインをした離婚届を取り出すと、夫は虚を突かれたように固まっていましたが、「養育費は出す」と絞り出すようなで言ったそうです。

必死に働いて生活も安定したとき

離婚したのが3年前、子どもたちが9歳と8歳のときでした。カオルさんは子どもたちと、実家近くのアパートに引っ越し、すでにフルタイムで働いていたのですが、さらに残業も出張も厭わず仕事に邁進しました。実母も協力してくれたからこそ、できたことかもしれません。

1年半でカオルさんは、所属部署のリーダー格になりました。責任はずしりと重くなったものの、仕事が楽しくてたまりませんでした。それでも、週末だけはきちんと休んで、子どもたちとの時間にあてていました。

「今から1年くらい前、元夫の姉から電話があったんです。義姉とは離婚後も仲良くしていました。義兄が事故で急死したという連絡でした。とるものもとりあえず義姉の家に行くと、元夫も来ていて。

もう両親はいないので、お通夜やお葬式の打ち合わせを義姉と元夫とでしていたんですが、私もそばで話を聞いていました。そのとき、ふと元夫の話し方が変わったなと思ったんです」

威圧的だった口調が、やさしいものに変わっていました。夫を急に亡くした実姉に対しても、非常に気を遣っていました。結婚しているとき、夫は姉とはほとんど行き来がなく、カオルさんが義姉の話をしてもまったく興味がなさそうだったのに。

離婚後、元夫とはほとんど会っていませんでしたが、「彼女でもできて、気持ちが変化したのかな」と思ったそうです。

「お通夜のあと、元夫が『軽く一杯、どう?』というので、近くの居酒屋に行ったんです。夫は毎月、養育費をきちんと振り込んでくれていたので、それについてはお礼を言いました。すると夫が、『いや、オレの子でもあるわけだから』と照れたような表情を浮かべたんです。ああ、結婚前、彼はよくこんな顔をしていて、私はこの顔が大好きだったなと思い出しました」

離れている間に起こった変化

離婚して約2年半の間に、彼にはいろいろなできごとが起きていました。会社が吸収合併されたあおりを受けて仕事がうまくいかなくなったこと、結局、大学時代の先輩のツテで転職したこと、転職先では給料も下がり、ゼロからのスタートになったけれど、いい仲間に巡り会えたことなど。その先輩の家に呼ばれたとき、家族のよさを感じたことも話してくれました。

「夫が言ったんです。その先輩の家、奥さんも子どもも先輩に対して言いたいことを言っていたそう。『あんなふうに言われて腹が立たないんですかってあとから先輩に聞いてみたら、先輩はどうして、みんなが楽しければいいじゃないかって言ったんだよね。オレ、自分がどれだけ家族を抑圧していたかわかったよ』と夫がしみじみつぶやいて。少しやつれてはいたけど、夫の表情には人のよさが戻っていました」

カオルさんは思わず、「やり直してみる?」と言ってしまいました。そうは思っていなかったのに、ごく自然に言葉が出てきたのです。

「夫は、自分からはそんなこと言えないと思っていたけどと、少し困惑していたみたい。子どもたちの気持ちもありますから、その日、子どもたちに聞いてみたんです。もう一度、おとうさんと暮らしてみる気はあるかと。そうしたらふたりともけっこう怖がっていましたね。でもまあ、会ってみるだけは会ってみようと、週末、4人で外で食事をしたんです」

元夫は、子どもたちにも気軽に話しかけ、ふたりが言うことを熱心に聞きました。かつてのおとうさんのイメージが払拭されたのか、子どもたちもどんどん心を開いていくのがわかるほどです。

「この人、本当に変わったんだとわかりました。変わったというより元に戻ったんでしょうね」

給料を知って聞けたホンネ

夫は数ヵ月、そうやって様子を見ていましたが、昨年末、カオルさんにプロポーズしました。これから再度、家族としてやっていくために、いろいろなことを話し合いました。すると、カオルさんの収入が、夫より少し上だったことがわかったのです。

「夫は、『きみに、誰のおかげで食べられるのよと言われてもしかたがないな』と。覚えていたんですね。あの一言をどれだけ後悔したか、転職して収入が減って初めて、自分が傲慢だったとわかったとしみじみつぶやき、本当にすまなかったと頭を下げました。これなら大丈夫。本気でそう思いました」

今年の初めから、また一家4人の生活に戻りました。3年ぶりのことです。そしてコロナ禍に陥りましたが、この期間がむしろ、家族の関係強化には役だったそうです。

「うちの場合はちょうどよかったんです。夫も私も在宅勤務が多くなり、子どもたちとの時間も増えて。子どもたちも、今はおとうさんに何を言っても聞いてもらえると確信を得たようです。ひとり暮らしの間に夫は料理上手にもなっていましたから、子どもたちは大喜びです」

今はカオルさんはほぼ毎日出社、夫は週3日勤務となっていますが、仕事が終わるとすぐに帰宅したくなるそうです。夫婦の「やりなおし」がうまくいくケースは少ないのですが、夫が心からそれまでのことを反省して変わってくれれば話は別。こんな温かい話もあるのです。

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