GoToは「くそキャンペーン」 重度障害者、命の叫び コロナ拡大を懸念「私は戦場にいる」

By 真下 周

「GoToトラベル」初日の羽田空港の国内線出発ロビー=22日

 東京を筆頭に全国で新型コロナウイルスの感染が再拡大している。若い世代の感染例が多く、軽症もしくは無症状で自覚が乏しいままウイルスを広げている可能性が指摘される。22日から始まった「GoToトラベル」キャンペーンは、「感染症対策の徹底を優先すべき」「コロナ禍で大打撃の観光業界に救いの手を」など、日本中で侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が続く中での見切り発車となった。そういう状況にあって、最も弱い立場にある人たちの声はいとも簡単にかき消される。在宅で訪問介護などに頼って暮らす重度障害者にとって、感染拡大は命に直結する。ヘルパー確保が困難になるなど、綱渡りの生活を余儀なくされている女性は「私の今の生活は極限のストレスにさらされ、戦場にいるようなもの。GoToは本当に『くそキャンペーン』だと思う。このタイミングでやるもんじゃない」とやるかたない怒りをぶつけた。(共同通信=真下周)

 ▽ひとり暮らし

 大阪市内のアパートで1人暮らしする鳥居生(とりい・うぶ)さん(36)は2014年1月ごろ、歩行がふらつき、肺炎を繰り返すようになった。公立高校で学習支援サポーターをしていた。原因が分からず右往左往したが、最終的にたどりついた診断は、運動機能に障害を来す「慢性小脳炎」。大人では極めて珍しい症例だった。運動のバランス感覚が保てず、意思どおりのスムーズな動きができない。小脳とその周辺が萎縮したことが影響し、記憶が難しくなるなどの高次脳機能障害も残った。

鳥居さんのアパートの窓から見える景色

 発病後、てんかん発作が治まらず、厳格に管理された病院で入院生活を強いられた。「人として扱われていない」と絶望したが、体調を安定させるため胃に栄養をチューブで入れる「胃ろう」を造設する条件と引き換えに、2カ月後には病院を飛び出し、アパートでひとり暮らしを始めた。仕事は辞めており、無職になっていた。

 それから6年。今は重度訪問介護の制度を使い、訪問看護や介護など10以上の事業所から総勢40人ほどのスタッフが交代で訪れ、在宅生活を支える。点滴や胃ろう、導尿などいくつもの管につながれている体。昨年からはぜんそくになり、酸素吸入の機器も手放せない。それでも自分の意思で組み立てられているこの生活を気に入っている。

病気が分かった頃の鳥居さん

 持ち前の明るい性格は病気になる前からで、支援者との会話はいつも笑い声が絶えない。車いすに乗って就労支援の事業所に電車で通い、講演活動もするなど積極的に外出していたが、2月以降、コロナの感染拡大で生活空間は一変した。訪問してくるスタッフは玄関先で全身に消毒液を噴霧し、マスクに手袋などで防護した上でケアに当たるようにした。

 ▽撤退した事業所

 緊急事態宣言が発令され、日本中で「ステイ・ホーム」が呼び掛けられていた4月ごろ、鳥居さんは知人のバー店主が、自粛していた店を独自判断で営業再開することを会員制交流サイト(SNS)で知った。「若い人が感染し、症状がないままふるまうことで、私みたいなハイリスクの人がおびえながら暮らすことになる」と店主にメッセージを送ったが、「ぼくらも思い悩んだ末に決めたので(仕方がない)」との返事に、深い断絶を感じ、口をつぐむしかなかった。

 もちろん、鳥居さんも他の人たちの生活がどうなってもいいと思っているわけではない。経済活動が大切なことも理解している。ただ…。

 そんな中、恐れていた事態が起きた。ヘルパー事業所の一つで、利用者家族に感染者が出たことが分かったのだ。鳥居さんの支援に入っていたヘルパーは濃厚接触者ではなかったが、念のため2週間休んでもらうことにした。すると、その事実を知った訪問看護事業所の一つが過剰に反応し、感染が波及するのを恐れて、支援から撤退した。

自宅を訪問したヘルパーと話す鳥居さん(左)=5月12日

 福祉業界は人材不足などで、介護ヘルパーなどは引く手あまただ。平時でさえ人員を確保するのが難しいのに、見守り体制に穴があいてしまい、急きょ、別の事業所にカバーしてもらうなどして何とか危機を乗り切った。ただこれは序章に過ぎなかった。

 感染リスクを恐れて通院を控えていた6月、38度台の発熱と脱水症状が続き、とうとう病院にかからざるをえなくなった。最初に病院脇の狭い発熱外来のテントで新型コロナの感染の有無を確認する抗原検査を受けた。2~3時間待たされ、幸い陰性だったが、その間、他の患者にうつされないかと肝を冷やした。結局、精密検査のために3日間入院し、自宅に戻った。

 ▽完全防護のケア

 5月下旬に緊急事態宣言が全面解除され、街にはにぎわいが戻った。鳥居さんは安定しない体調と向き合いながら感染防止に神経をとがらせ、依然閉じこもり生活の日々を過ごしていた。仕事探しや講演活動の再開も見通せない。彼女にとって一回一回の外出は、単なる気晴らしでも余暇でもない。外出ができないことはすなわち、社会的な役割を奪われることだった。

大阪府が日々発表している新規感染者のリスト

 7月に入ると、感染再拡大の傾向は鮮明になった。東京都で224人、大阪府で30人と感染者が急増した9日。今度は、中心的な役割をしているヘルパーが所属する事業所の別のヘルパーが感染した。担当ヘルパーがこの陽性のヘルパーと長時間の飲食を共にしていたという不確かな情報も駆け巡り、鳥居さんの周辺は大騒ぎとなった。担当ヘルパーは2週間離脱。方々から事実関係の問い合わせが殺到し、消耗しきった鳥居さんは食欲もなくなった。

 ケアは感染症病棟さながらの完全防護体制を取った。全てのヘルパーや訪問看護師はマスクに手袋、フェースシールドにガウンを着用。フェースシールドまでは用意できない事業所もあり、鳥居さんが個人で確保するしかなかった。ケアの時間短縮や、支援スタッフを絞ることも、二つ返事ですべて了解した。それでなければ、この生活は維持できなかったからだ。

 完全防護の格好で1時間もいると、ヘルパーらは噴き出る汗がガウンに張り付き、過酷なダイエットプログラムをしているような様相を呈した。中には3時間という長時間勤務の人もいたが、その中でも笑顔で作業してくれる様子には心を大きく揺さぶられた。

ビデオ通話で、ヘルパーらが完全防護で臨む状況を説明する鳥居さん=7月19日

 「私は致命的な病気も経験してきているので、仮に自分が死んでもその覚悟はできているつもり。ただ自分が殺人ウイルスのキャリアであるかもしれず、他の人にうつしてしまわないかと考えると恐怖です」と話す鳥居さん。ヘルパーや看護師の後ろには家族がいる。高齢者もいるだろう。そして彼女らが支援に入る人の中には、人工呼吸器を付けているなど、ハイリスクな人たちもたくさんいる。

 ▽「どこかに行くより…」

 「ヘルパーさんたちがどんな気持ちで支援に入ってくるんやろ、と思うと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたね。そこまでして地域で生きてていいんかな、と」。鳥居さんは7月19日、オンラインでの取材に対し、目をうるませ、涙声で語った。「生(うぶ)ちゃんやから、(私はケアに)入りたいと思うんやで」と言ってくれたヘルパーさんたち。その人たちの命を奪いたくない、と心から願ったという。

 1度目の危機の時は、まだ感染という現実からは少し距離があった。だが2度目は直撃した。「もし感染したら」。日々の生活の緊張感とストレスは半端ではなかった。本当の恐怖を味わい、初めて今、戦場にいることを自覚した。命の大切さを身に染みて感じた。

臨床心理士とビデオ通話で談笑する鳥居さん=5月18日

 鳥居さんは「GoToトラベル」キャンペーンに思う。「頭のいい人たちがこぞって考えて、1兆円を超える巨額の予算を他に回す方法も思い付かないのでしょうか」。

 ほぼ自分の部屋だけの生活を強いられているが、訴えたいのはそのことへの不満ではない。「私はヘルパーとかいろんな人が(ケアに)入ってくれるから病まずにいられます。人のつながりを絶っていないから自分を保てる。どこかに行くことよりも、人とのつながりを大切にしてほしい。家族とか、身近な人とのかかわりを点検して、深めてもらうような時期にしてもらいたいですね」と願った。

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