河合奈保子「ヤング・ボーイ」いつだって一生懸命で高い歌唱力! 1980年 8月25日 河合奈保子のセカンドシングル「ヤング・ボーイ」がリリースされた日

ビキニ姿だったから? 河合奈保子の写真にひと目惚れ!

1980年8月15日、私は河合奈保子ファンクラブの集い大阪会場にいた。その前日、キャンペーンで商業施設に来ていた河合奈保子を初めて生で見て、もっと近づきたいと思ったからである。そしてここで河合奈保子の歌声を生で聴き、握手を交わし、声までかけてもらうことで、永遠の奈保子沼にハマってしまうのである。

河合奈保子がデビューした1980年、私は中学2年生だった。3人いる姉からいろんな音楽の洗礼を受けていたものの、当時は特定の歌手やアーティストに夢中になることもなく、流行りの音楽をなんとなく聴くくらいだった。だから河合奈保子のデビューに関しても「そんな娘がいるなぁ」程度の認識だった。

そんな夏のある日、恥ずかしながら「LOVE&SEX特集」の小冊子欲しさに(笑)月刊『明星』を購入した私は、本誌の中に載っていた河合奈保子の記事に目が留まった。「なんてかわいい人なんだ…」そう、写真を見た瞬間にひと目惚れ。それがビキニ姿だったとか、もしかしたら関係するかもしれないけれど(笑)、何よりその健康的な笑顔に釘付けになったのである。それが7月24日… なんと河合奈保子の誕生日でもあった。

もっと彼女のことが知りたくなった私は、デビュー曲「大きな森の小さなお家」をあわてて買いに行き、その日から彼女が出演するテレビとラジオをチェックするようになった。明るく溌剌とした歌声はとてもまっすぐで、インタビューなどで「ハイッ!」と元気良く答える素直な受け答えも好印象だった。

セカンドシングル「ヤング・ボーイ」気づかされる歌唱力の高さ!

ファンクラブの集いは大阪・梅田のとあるビルで行われ、当日ファンクラブに入会して参加。整理番号順に入場し、主役の奈保子を待つ。到着が遅れるとのことで「今月発売される新曲を聴いてください」とレコードで同じ曲が何度も会場に流れる。それがセカンドシングルとなる「ヤング・ボーイ」だった。

メルヘンテイストだった(歌詞は深読みすると、かなり意味深ではあったが)デビュー曲の「大きな森の小さなお家」とは違い「シリアスな展開の曲だな」という印象を受けた。

さわやかなストリングスで始まるイントロから一転、前半はマイナー調で低めの音域でのメロディー展開。サビでメジャーに転調し、明るくさわやかなメロディーで伸びやかに歌うという、メリハリのある構成。かなりの高音(上のD)までメロディーが動くのだが、見事に歌いこなしていた。「大きな森の小さなお家」ではそんなに目立たなかった奈保子の歌唱力の高さにここで気づくのである。

何より一生懸命な歌い方が、好きな人をひたむきに想う歌詞に合っている。

 そばにいると胸がキュンとなるの

というフレーズにはこちらがキュンとやられてしまった(笑)。

もっともっと再評価、河合奈保子の楽曲と歌唱力!

さて、ファンクラブの集いは、ご本人がようやく到着し、生歌を聴かせていただくだけではなく、お楽しみ抽選会まであり、私は見事 “河合奈保子サイン入り定期入れ” をゲットする。直接ご本人から手渡してもらった上に「大切に使ってくださいねっ!」という言葉とともに握手までしていただいた。

あまりの感動にここからの記憶が少し曖昧なのだが(笑)、イベント終了後も全員を一人ひとり見送りながら握手をしてくれた。「頑張ってください!」と平凡な言葉しかかけられなかったのだが、「ハイッ!もう頑張りますので!」と笑顔で答えてくれたことだけはハッキリと覚えている。

そのイベントから2か月半後の10月30日、「ヤング・ボーイ」がTBS『ザ・ベストテン』で見事に10位にランクイン。初登場を当日の新聞のラテ欄で知り、震えが止まらなかった。松山の道後温泉から中継で歌う姿をテレビで見ながら

 今 憧れの人に
 めぐり逢えた 青い季節

という歌詞を噛みしめていた。あのとき間近で見た憧れの人がブラウン管の向こうで頑張っている… ずっと応援していかなければ、と心に決めた。そこからの大躍進、大活躍はみなさんご存じのとおりである。

あれから40年、昭和の思い出として河合奈保子が語られるときは必ず “水着” “ビキニ” “大きな胸” ということばかりがクローズアップされるけれど、楽曲や歌唱力も同じようにもっと再評価されていいと思う。昭和ポップスが盛り上がりを見せてきた今こそ、河合奈保子の曲をたくさんの人にたくさん聴いてほしい。

カタリベ: 不自然なししゃも

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