『この町ではひとり』山本さほ著 こんな作品、初めて出会った

 リセットボタンを押したくなったこと、人生で何度あっただろう。漫画家・山本さほの新刊は、今から15年前に自身が一年間だけ住んだ、ある町での出来事を描いている。

 物語は主人公のサホが二年間の浪人生活の末、大学受験に失敗した2005年の春から始まる。突然、実家のある横浜を飛び出し、神戸で一人暮らしをすることを思いつくサホ。この町に住むことを決めた最大の理由は、失敗してしまった人生のリセットボタンを押したかったから。そうして始まった新天地での、笑いあり涙あり涙あり涙あり涙あり涙あり涙あり涙あり涙ありの物語だ(当社比90%増量)。

 指を切ってしまい、夜中に飛び込んだ病院で「コレ…もうダメ」と真顔で冗談を言う内科医。抜糸の日、待ち時間の長さで大荒れする待合室(のちにパトカー出動)。校舎の窓からチンピラをからかって遊ぶ高校生と、それに鬼ギレするチンピラ(のちにパトカー出動)。300円の明石焼きに、会計のときに毎度「はい300万円(笑)」と言うおばちゃん。

 登場人物全員が強烈すぎるこの町で起きる「ありえへん」出来事の連続を、最初は物見遊山で面白がっていたサホ。しかしいざ自分がその中に入って行くとなると、事態は大きく変わっていく。

 近所のゲームやDVDなど扱う店でアルバイトを始めたサホは、のっけから社員になぜか嫌われてしまう。美人のパートさんには若さを妬まれ、大学生バイトとは一向に距離が縮まらない。話しかけられたかと思ったらバイクをくれとたかられたり、後輩ができたかと思ったら早々に口説いてくるキモ男子だったり。

 挙句は客だ。「死ね」「ボケ」と言われるのは日常茶飯事。「本社にクレーム入れるから」も日常茶飯事。万引きした少年を捕まえたら、なぜか客から悪者扱いされ、接客態度が気に入らないと、他の客もいる前で大声で罵られる。そしてなぜか仲間も社員も、誰一人サホを助けてくれないのだ。

 理不尽や暴言や無茶苦茶を集中砲火で浴びせられ、面白がる余裕もなく、次第に心をすり減らして行く日々。元来人が好きで好奇心旺盛で、地元では「変態磁石」なんてあだ名を付けられるほど、変わった人や異様な状況を呼び寄せ積極的に巻き込まれに行っていたサホだが、この町ではその性格がすべて見事に裏目に出てしまう。失敗して逃げ出して、その先でまた失敗をするなんて……。サホは自分を責め、次第に自分を追い詰めてゆく。

 苦すぎる青春。読んでいて胸が痛くなる。物語の終盤、叫びながら走るシーンがこの町での孤独を悲しいくらいに描いている。優しくない世界。悪意のこもった言葉。もう限界だった、いや限界なんてとっくに過ぎていたんだろう。その1コマにいろんなものが詰まっていた。

 時は流れ、大人になったサホは物語の最後でこの町を訪れる。住んでた家、通った商店街、よく食べたラーメン屋。出会う人はみな優しく、かつてのバイト先のスタッフは全員知らない人で、なんなら自分のマンガが売られている。誰もあの頃の私を知らない。「誰かに聞いてもらいたいな…私がここに存在していたこと…」。

 それは、この町で辛かった、苦しかった自分がまだひとりで泣いているような感じがしたのかもしれない。そうして描いたこの作品を、ただ恨み節を連ねているだけだと言う人もいるかもしれない。自己満足だって言う人もいるかもしれない。それの一体何が悪い。誰も私を助けてくれなかったんだ、私が私を助けて、守って、何が悪い。声にならないサホの声が、凄みになって迫ってくる。こんな作品、初めて出会った。

(小学館1100円+税)=アリー・マントワネット

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