日本最大級の城だった!?『北の庄城址・柴田公園』とは

柴田勝家が現在の福井市に築造した北庄城(きたのしょうじょう)。
発掘によってその一部が発見され、現在はその遺構の上に『北の庄城址・柴田公園』と『柴田神社』があります。
北の庄城址公園内で今でも見ることができる北庄城の遺構や見どころとは…?

北の庄城址・柴田公園とは?

かつて北庄城の天守があったと考えられている場所が、現在は隣接する柴田神社とともに整備され、北の庄城址公園となっています、
さらに隣には、多目的広場がある柴田公園が。
柴田公園は、日本の公園百選にも選ばれている公園です。

北庄城は、1575年に柴田勝家によって築城が開始されたお城で、9層の天守閣を持っており、織田信長の安土城天守(7層)をしのぐ、日本最大級の城だったとの記録が残っています。

しかし、1583年の賤ヶ岳の戦いに敗れた勝家は、妻のお市の方と自害し、城にも火が放たれてしまいました。

さらに1601年からは、北庄城の跡地に、結城氏によって新しい北庄城が築城されたため、現在は柴田氏の遺構を見ることはほとんどできません。

本丸の推定位置である柴田神社の地下からは、石垣の跡と思われる石も出土しましたが、本丸の正確な位置は未だに特定できていないそうです。

江戸時代には全国的に有名だった『九十九橋』

九十九橋

北の庄城址・柴田公園の一番手前にある九十九橋は、当時の北陸道と足羽川が交わる地に架けられていた、木と石でできた橋。

橋の南半分が石、北半分が木で造られている「半石半木」という構造になっているのですが、江戸時代には大変珍しい橋として全国的にも有名だったそうです。

九十九橋自体は朝倉時代には架けられていたという記録ありますが、半石半木の橋として架けたのは柴田勝家だと考えられています。

現在展示されているものは、欄干部分は往時から残された旧石材(福井市内で保管されていたもの)を使って再生されたものです。

パワースポット!『柴田神社』

敷地内には、北庄城を築城した柴田勝家と、その妻お市の方が祀られている柴田神社が再建されています。

鎮座地は北庄城の本丸跡地と言われており、福井城内の神祠としても保護されてきました。

「絆の宮」とも呼ばれており、さまざまな祈願ができるパワースポットでもあります。

私も以前行ってました!!
詳細はこちら

鳥居は北の庄城址・柴田公園の道路に面した方とは反対側にあるので、こちらから入るのが正しいですが、北の庄城址からもそのまま入ることができます。

このほか、福井城の遺構や資料館など、さまざまな見どころがありますよ!
詳細は以下でご紹介しています。

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