チャットが助長する「人間不信」 産業医が診た、追い込まれる社員

 コロナ禍における働き方の変化は、従来のそれに比べ、「通勤時間からの解放」「無用なコミュニケーションの削減」「生産性の向上」などの点において、多くのビジネスパーソンにとって、当初は恩恵の大きいものと考えられてきました。しかし、テレワークが浸透し、リアルコミュニケーションが制約を受ける中で、言いようの無い不安や、身体的な不調に始まり、メンタルの不調を訴えるビジネスパーソンの数が、日に日に増えているように実感されます。(産業医、VISION PARTNER メンタルクリニック四谷 院長 尾林誉史)

(ゲッティ=共同)

 本年6月より、改正労働施策総合推進法(通称、パワハラ防止法)が大企業に施行されました(中小企業は、2022年4月施行予定)。いまや、働き方とハラスメント問題は、切っても切れない関係にあると言えるでしょう。

 このコロナ禍において、テレワークが新たな働き方として普及する一方で、「オンラインハラスメント」「デジタルハラスメント」などの、新たなハラスメント問題が指摘されるようになり、その数は後を絶ちません。

 コロナ禍での働き方へとシフトする以前から産業医として勤めてきた筆者にもたらされた最も大きな変化は、従前であればリアルに実施してきた産業医面談を、オンライン上で実施するようになったことです。

 その変化によって相談内容も、その質を少しずつ変えてきている印象を受けています。

 端的に言えば、リアルからオンラインへと、急速にコミュニケーションツールが移行する中で、互いの不信感や信頼関係の毀損(きそん)が、急激に表面化しているように感じられるのです。具体的にどういうことが起こっているのか、実際の事例を通じて検証してみたいと思います。

 あるWebメディアの会社にて制作職を務めるAさんは、もともと社会不安障害の傾向がありました。大人数を前にしたプレゼンでは、入念に準備した資料を手元に置いても、緊張のあまり呼吸が浅くなり、頭が真っ白になることが少なくありませんでした。

 テレワークに移行してからは、衆人環視のプレッシャーから解放され、一時的に症状が軽快したように思われました。しかし、ある日のWebミーティングで、資料の画面共有に手間取り、それを見兼ねた上司から「何をやってるんだ」と一喝されてしまいました。

 それ以降、自身の顔を画面に映すことができなくなり、そこに追い打ちをかけるように、同じ上司から「顔を見せないなんて失礼なやつだ」とレッテルを貼られてしまいました。当初は、マスクをしたままミーティングに臨むなどの工夫をしたものの、ミーティングに参加することもままならなくなってしまい、休職を余儀なくされました。

 ある広告代理店にてディレクターを務めるBさんは、「相手からどう思われているのだろうか?」「自分のことをバカにしてるんじゃないか?」と、少々神経質なところがありました。

 コロナ禍以前より、チャットツールをメインにした業務遂行には慣れており、テレワークに移行しても、業務には何ら支障を来すことはありませんでした。

 しかし、ある日に何の前触れもなく、「仕事が手に付かない」「朝、起きることがおっくうで何もしたくない」と労務に相談があり、オンラインにて産業医面談を実施しました。

 その結果、重度の抑うつ状態が疑われたため、心療内科の受診を勧めました。受診の上、丁寧に内心を打ち明けてもらったところ、「チャットで仕事はどんどん降ってくるけど、こなした仕事への評価は誰からも得られない。必要とされていないんじゃないかと思って」と、言葉を詰まらせながら、涙ながらに告白しました。

閑散としたオフィス街=4月27日、東京・丸の内

 確かに、Aさんの上司の振る舞いは褒められたものではありませんが、パワハラと断定されるレベルではありません。Bさんに至っては、悪意ある特定の誰かが仕向けた結果と、断言することすらできません。では一体、何が2人を不調へと導いたのでしょうか?

 二つの事例を通じて言えることは、普段通りのコミュニケーションが、そのままオンラインに援用されているという点です。

 Aさんであれば、例えばミーティング後に上司より、「次回は頑張れよ」の一言があれば、事態は深刻化しなかったかもしれません。Bさんであれば、仕事の進捗(しんちょく)や成果に対して、周囲が感想を口にしてくれれば、不信感は底を打っていた可能性があります。

 すなわち、リアルコミュニケーションで補完されていた無意識のフォローが、オンライン上では、この2人には全く届いていなかったのです。

 このように、オンラインコミュニケーションがもたらす悪影響は、ほんのわずかなボタンの掛け違えがきっかけであることが実情です。しかし、その掛け違えがもたらす影響は、事例からも明らかなように、被害が甚大であることも、頭の片隅には常に置いておくべきでしょう。

 多くの事例を通じて得られた共有知として、以下のようなオンライン上のマナーを心掛けてみてはいかがでしょうか。

1.チャットだけでコミュニケーションを完結させない

2.テキスト上の行間を読ませない

3. Webミーティング開始時、上司がアイスブレイク(緊張をほぐす)を試みる

4.業務時間外にはタスクを振らない

5.参加者全員の前で恥をかかせない

6.いつもの2倍、相づちを打つ

7.いつもの3倍、共感を示す

8.ミーティングの時間は、いつもの半分を目標に

 読んで字の如しですが、特に1.や2.は、中でも大事なポイントではないでしょうか。

 チャットツールは、いまやビジネスパーソンのみならず、われわれの生活には欠かせない、大変便利なものです。しかし、コミュニケーションの基本は、あくまでもリアルに存在することを忘れてはなりません。

 叱咤(しった)激励は、受け手の成長機会になり得ますが、ただの叱咤(テキストでの言いっ放し)は、受け手の萎縮や疑心を深めます。意識的な激励も、この時代には強く求められるのです。

 また、リアルに比べてオンラインミーティングは、作業密度が濃くなりがちです。そのため、業務効率の観点からもストレス軽減の観点からも、ミーティング時間を意識的に短くすることは、大変に有効です。長くとも1時間以内にはとどめたいものです(8.について)。

 オンラインコミュニケーションは、業務効率を上げ、生産性を高めるための、一つの手段に他なりません。そこには、誤解や意図せぬ影響を及ぼすネガティブな側面が存在するとの認識が不可欠です。マネジメントに関わる方は、この事実をこれまで以上に強く意識してほしいと思います。

 一方で、ビジネスパーソンのみなさんには、オンライン上のやりとりを、額面通りに受け取らない強さ、軽く流す力−ある種のレジリエンス(強じん性)も持ち合わせていただければ、なお良いでしょう。手段に飲み込まれず、気持ちの良いコミュニケーションを交わせるよう、今以上に、双方の工夫や配慮が求められる時代はないのではないかと、私には思えてなりません。


尾林 誉史(おばやし・たかふみ)1975年、東京生まれ。東京大学理学部卒業後、リクルート入社。退社後、弘前大学医学部に学士編入し、東京大学医学部付属病院精神神経科に所属。現在、精神科臨床のほか、産業医やカウンセリング業務などに携わる。

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