バブルの象徴「MZA有明」と ポーグスの酔いどれボーカル、シェイン・マガウアン 1988年 10月30日 ザ・ポーグスの初来日公演がMZA有明で開催された日

時代はウォーターフロント、山本コテツが手掛けた「MZA有明」

80年代のバブルな時代。上がりきった東京の地代の流れに乗って、ウォーターフロント… つまり東京湾に隣接する比較的安価な倉庫街に倉庫を改装したり、また空き地だったところにクラブや大箱の施設があれよあれよと出来た。

1988年7月、そのウォーターフロントに空間プロデューサー山本コテツ氏が手掛けた2,000坪を越える「MZA有明(エムザありあけ)」が鳴り物入りでオープンした。総工費が30億円近くもかかったと言われるMZAは、、ディスコ、レストラン、スタジオ、コンサートホールなどがある複合施設だった。

その外観は、夜になると周りに何も無い暗い倉庫街に、いきなり神殿の様な建物がライトアップされて現れる、ある種の非日常、異空間のようだった。ただ、車で行っても駐車場が遠く、そこからMZAまでシャトルバスが出る不便さ。はっきり言って、陸の孤島の巨大神殿だった。

そんなアクセスの悪さとバブル崩壊を受けて、わずか3年足らずで閉館。その後「ディファ有明」という格闘技専用施設になるが、それも2018年閉館した。それでも、当時は、最寄り駅すら無いこの陸の孤島の神殿に足繁く通うほど、洋邦問わずコンサートを観た。そして感慨深い良い内容、演者が多かった。

いかにもヤバそうな泥酔外人、もしかしたらポーグスのボーカル?

そんなMZA有明で初めて観たコンサートが、1988年10月に初来日したポーグスだ。そのコンサートの3日くらい前に友人と食事をした帰り道のこと。いかにもヤバそうな外人が前から千鳥足でブツブツ言いながら歩いて来た。友人と避けようとしたその時、その外人が崩れるようにうずくまった。

終電間近だったためか、皆彼を無視し歩き去る。友人とおそるおそる近付いて「大丈夫ですか?」と、とりあえず声をかけた。泥酔状態なうえ訛りの強い英語で、何を言っているか分からないが、とりあえず向こうはこちらのアジア訛りの英語が理解出来たらしくこう答えてくれた。

「ここが何処だがさっぱり分からないからホテルに帰りたい」

しかしホテルの名前も場所もわからない。どうやってここに来たかもわからない。30分くらいやり取りしたが、まるで埒が明かない。「犬のお巡りさん」の歌詞が頭をグルグルまわる。

ふと思った。時折白目を見せて半分寝落ちしてるこの外人… もしかしたらポーグスのボーカルのシェイン・ マガウアンじゃないか?

吐きまくるシェイン・ マガウアン、ゴルチエの靴を汚された友人

「貴方… もしかしてポーグスのシェイン・ マガウアン?」 「そうそう」 「私達ライブに行くのよ!起きて!」 「ライブ… いつだっけ?」

と言ったとたん…… 彼はまさかのリバース! 避け損なった友人のゴルチエの靴が台無しになる。私は慌ててありったけのティッシュをシェインに渡す。そして、友人の靴を拭くために、近くの自販機で水を買い、シェインにも飲ませた。友人は文句を言いながら靴の汚れを水吹きし、私はシェインの背中をさすったりして落ち着くのを待った。

シェインのポーグス脱退とMZAの閉館… 思い浮かぶワニの肉料理

中のものを吐き出したからか、シェインは少しずつしっかりしてきた。彼の話の内容から、ホテルは遠くないことが分かり、千鳥足のシェインを友人と支えながら歩き “恐らくここだろう” 思うホテルに行くとやはり正解だった。フロントマンには怪訝な顔をされたが、後を任せてその日は友人とタクシーで帰った。

それから数日後のポーグスの初来日公演。心配していたシェインは、最初から酒のボトルをラッパ呑みし、ひっきり無しに煙草を吸いながら、彼じゃないと唄えない酔いどれ声で歌い切った。バックがしっかり安定してるからこそ、多少ボーカルが外そうが一体感があり、凄く良かった。

それにしても、後にシェイン・マガウアンがアルコール依存問題でポーグスを脱退した1991年に奇しくもMZAが閉館するとは…。私的にはMZAと言ったら、シェイン・マガウアン、そして館内レストランがイチオシするワニの肉料理が即座に思い浮かぶのだ。

カタリベ: ロニー田中

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