消えぬ不安と不信、封鎖半年の武漢を歩く  戻った街の活気と遺族のやりきれぬ思い

 新型コロナウイルス感染症を受け、中国の湖北省武漢市が都市封鎖してから7月23日で半年がたった。当初世界が驚いた施策はその後、欧州など各地で実施された。7月下旬、日常を取り戻した武漢の街を歩いた。マスクなしのタクシー運転手、公園で踊る人々、にぎわう夜市…。「もう安心」と活気にあふれる姿が街のあちこちから感じられた。その一方、さまざまな形で取材に応じた遺族らの表情や言葉からにじみ出ていたのは、当局の初動対応の遅れや、その後の批判の押さえ込みに対する疑念と怒りだった。(共同通信=鮎川佳苗)

集団ダンスを練習する女性たち=7月22日、中国・武漢

 ▽密着ダンス、市場も〝復活〟、夜の街に繰り出す人々

 22日朝、中心部の公園で多くの人が太極拳や運動を楽しんでいた。上半身裸でバドミントンに汗を流す中高年の男性、そろいのユニホームで一糸乱れぬ集団ダンスを練習する50人ほどの女性たち。マスク姿は1割程度か。

 「安全だから着けなくて大丈夫。もう誰もマスクはしていないよ」。肩を抱いたり手をつないだり。パートナーと密着してダンスに興じる男性(68)は笑った。毎朝数時間、仲間と踊りを楽しむそうだ。「北京から来たの?『第2波』で大変でしょう。市場で起きたんだってね」。別のダンスグループの女性は記者を気の毒がった。

 6月以降に一時期発症者が増えた北京と違い、武漢は多くの居住区で身元確認や体温測定がなくなった。飲食店でも面倒な登録は不要。4月8日の封鎖解除後も感染を恐れて4時間ごとにマスクを取り換えていたというタクシー運転手の男性(45)は最近、「もう怖くない」と着用をやめた。助手席の記者との距離を気にする様子もなく、マスクなしでにぎやかにおしゃべりしてくれた。

PCR検査を受ける市民=5月20日、中国・武漢

 市民が警戒を解いたよりどころは、5月半ばから半月ほどで実施された約1千万人の「全市民PCR検査」。どれだけいるか分からないと不安視されていた無症状感染者を洗い出した。当局の対応を批判的に見続けてきた男性(51)も「武漢は今、全国で1番安全だ」と話す。ただ、大量検査は検体採取の精度が一定しない。感染者として数回検査を受けたことがある女性は、大規模検査では結果の正確性はあまり高くないかもしれないと指摘した。

 2カ月前に記者の同僚が訪れた際は、地下鉄は間隔を空けて乗客を座らせていた。今は通勤時間帯には満員だった。ほぼ全員がマスク姿だ。最初の「震源地」となった海鮮市場は閉鎖されたままだが、多くの店舗が郊外の別の市場に移った。ただ移転先で5月に営業再開した店の関係者は「経営状況は良くない」と顔をしかめた。

大規模卸売り市場でザリガニを売り買いする人たち=7月22日、中国・武漢

 別の大規模卸売市場では車両が消毒液を大量に噴霧していた。生臭さと塩素のにおいが混じり合う中、旬のザリガニに業者らが群がる。ザリガニは夜市で人気の料理に使われる食材だ。その夜市は若者でにぎわい、路上で熱いキスを交わすカップルも見掛けた。

 ▽3869人の統計に入らない「遺族」たち

 「日本や他国は封鎖をしなかったのに比較的抑え込んだ。なぜ封鎖した武漢でこれほど死者が多いのか」。検査も治療も間に合わず、65歳だった父が、発症者と認定されぬまま2月初旬に亡くなった趙蕾(ちょう・れい)さん(39)は怒りを吐きだした。封鎖をするなら相応の医療態勢を整えるべきではなかったか。急ピッチでの建設を当局が誇った「火神山」「雷神山」の臨時病院も、趙さんは「遅かった」と批判する。

 政府によると、武漢の発症者は5万人超、死者は3869人。本土全体の死亡率は約5・5%だが、武漢は約7・7%に上り、武漢の発症者は本土全体の約6割だ。

中国・武漢の「火神山医院」=7月24日

 複数の遺族は初期の情報公開の不適切さに加え、1月の封鎖後、医療崩壊が起き、患者を自宅待機させて家庭内感染が起きた点を非難する。初期の混乱により、実際の感染死者数はもっと多いとの指摘は絶えない。ある女性市民は「本当は一体何人亡くなったのか誰にも分からない」と漏らした。

 趙さんは自身も感染、一時期学校に隔離された。薬もなく高熱に苦しんだ。入院中は周りの患者が何人も亡くなり恐怖にかられた。自分も家族も周囲の差別にさらされた。「悪夢だった」と振り返る。情報を隠したとして地元当局などの責任を問う内容の訴状を8月、発送した。

 丁穎均(てい・えいきん)さん(42)は、母胡愛珍(こ・あいちん)さん(65)を亡くした。コンピューター断層撮影(CT)で典型的な症状が確認されたにもかかわらず、PCRが陰性だったため発症者と認定されなかった。

 公式統計を正確だと思うか尋ねると「あり得ない」と即答した。いくつも病院を訪ねたが、母はほぼ治療を受けられなかった。ベッドがなく、行列を作る大量の患者をこの目で見た。死者は5万人以上でもおかしくないと思う。当局は4月に死者数を1290人上積みして訂正したが、それでも足りないとみている。「母と同じように亡くなった人が大勢いる」

李文亮医師を悼み、雪の上に書かれた「送別李文亮(さようなら李文亮)!」の文字=2月7日、北京

 ▽執拗(しつよう)な監視、黙殺される訴訟

 丁さんは記者の訪問後、話した内容を当局者に詰問された。「なぜ彼らはわれわれ遺族を黙らせようとするのか。体制が自らの罪を覆い隠したいからだ」と憤る。別の、やはり発症者と認定されずに父を亡くした遺族の男性は、快諾していた面会の約束を直前になってキャンセルすると連絡してきた。「本当に申し訳ないです」。「個人的な理由」としか明かしてくれなかったが、当局の圧力を受けた可能性もあると記者は考えている。

 イタリアやフランスなどの国では、政府当局の対応を巡り遺族や医療関係者らから責任追及の声が上がり、司法当局が捜査や事情聴取に乗り出した。だが中国では初期対応を巡る開かれた議論はほぼない。

 封鎖によって防げた外部への感染拡大と、同時に引き起こした現地の医療崩壊の影響はどうだったのか。検証の雰囲気は存在せず、政府の白書は「14億の中国人民の団結は偉大な力量を示した」とまとめた。

 初期に警告を発し、自身も感染して亡くなった李文亮(り・ぶんりょう)医師の死に関しては、警察の訓戒処分を撤回させるほどに世論の怒りは大きかった。言論統制が被害を拡大したとの認識も広まった。だが他国の感染が深刻化するにつれ、批判的な声は低調に。米政権が感染拡大の責任を中国に押しつけようとしたことで、コロナは中国で「愛国」問題にもなっている。趙さんは「感染したり家族を亡くしたりしていなければ、政府がよく守ってくれたと感じている人は多い」と語る。

亡くなった父の写真を持つ張海さん=6月、中国広東省深圳市(共同)

 父(76)を感染で亡くした張海(ちょう・かい)さん(50)は6月上旬、武漢市政府などを相手取り、責任を問う訴訟を提起した。遺族が提訴するのは初めてとみられる。武漢の裁判所は口頭で不受理を告げ、正式な書面での通知を拒否した。

 当局は政権転覆などを取り締まる「国家安全法」をちらつかせ、一貫して批判の声を上げる張さんに「口をつぐむ」よう圧力をかけ続けている。関係者によると、父を亡くした別の住民も7月、同様の訴状を発送した。他の複数の遺族も提訴を検討中だ。ただ支援する弁護士は、裁判所は訴訟を黙殺すると指摘。「中国の法は国民統治のためのものだ」と嘆く。

 当局は感染対策の「成功」宣伝を強めたが「『成功』などない。遺族にあるのは心の痛みだけ」。「助けて」とメッセージを残して亡くなった弟(43)の最期を知りたいと願う女性(50)はこう話す。病院の対応はどうだったのか、きちんとした説明を望んでいる。だが当局は、遺族を支援する弁護士や海外メディアは「スパイ」だとして、接触しないよう女性に警告している。

 楊敏(よう・びん)さん(49)は自身も感染し、娘(24)と義兄を失った。遺族を後押しする声が少ない中国の現状は「まるでコロナなど起きなかったみたい」。当局の遺族監視に協力する住民もいるという。「『普通』の人々の目に(責任追及を訴える)私は『異質』に映る」。当局に監視されていても、楊さんは提訴を辞さない構えだ。「大それたことは望んでいない。ただ娘の死の真相を知りたい」

武漢市政府の敷地の入り口=7月23日

 「人から人へうつる証拠はない」「抑え込み可能」と繰り返した初動の遅れが封鎖の事態を招いたことを、人々は忘れていない。団地の階下と向かいの部屋で感染者が出た元銀行員の女性(34)は遠縁の親戚を感染で亡くしたという。「政府が早期に警告すればこれほどひどいことにならなかった」と考えている。

 コロナは「天災」だと感じ「今年はもう生き延びられれば十分」と話した。ただ、一部の遺族は「人災」だとの思いを抱いている―そう水を向けてみると、「私も遺族になっていれば責任追及をすると思う」とぽつり。「今は安心感がある。でも当局は、また発生しても『コロナはもう終わった』と隠すかも」。不安と不信は消えていない。

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