「会社辞める?それとも…」30歳の女が、生まれて初めてした衝動買いの内容

©東京カレンダー株式会社

時計はかつて人々にとって、時間を知る大切な道具だった。

しかしスマートフォンが流通した現在、時計は単なる装置ではない。

小さな文字盤の上で正確に時を刻みながら、持ち主の“人生”を象徴するものなのだ。

2020年、東京の女たちはどんな腕時計を身につけ、どういった人生を歩むのかー。

【シャネル・J12を身につける女】

名前:華
年齢:30歳
職業:フリーランスでPR
住まい:麻布十番

私は今、自分の人生のどのフェーズを歩いているのだろうか。

ー転職か、独立か。

答えが出ない状態は、かなりつらい。そのどちらかの選択をしたいと思い始めてから、もう1年は経っている。

なんとなくずっと悩んでいるうちに、30歳になっていた。自分の残りの人生は、あと何年あるのだろう?

昨日の自分のチームの飲み会で、後輩から言われた言葉がずっと頭に残っている。

「華さんって、サラリーマンの鏡みたいな人ですよね~!部下に対しての愛情もあるし。上司にも意見は言うけど逆らわないし。でも、飽きたりしないんですか?仕事」

酔った勢いとはいえ、後輩の言葉には皮肉がたっぷりとこめられているとわかっていた。

ーなんでも卒なくこなし、誰とでもうまくやる。だけど裏を返せば、無難で八方美人。

適当に笑って返したものの、内心は穏やかではない。

なぜなら私自身、それが悩みの一番の原因なのだと自覚しているからだ。

強烈に人を惹きつける何かがある人間と、そうでない人間。

これまで私が見てきた「独立して成功している人間」は、前者。いわゆる先天的に何かをもっているタイプのような気がしてならない。

一方で、自分は後者かもしれないと早い段階で気が付いていた。だからこそこれまで、サラリーマンとして人一倍努力してやってきた。

そんな私が、独立するべきかを悩んでいるのだ。はたしてチャンスはあるのだろうか。

突き付けられた、二つの選択肢。悩める華に、ある人物がキツイ一言を告げる…。

私は、青山一丁目にあるPR会社で働いている。新卒で入社して以来、ひたむきに業務をこなしてきた。

一見、華やかな仕事だが泥臭い作業が多く、調整業務は山のようにあり、終電まで残業することもしばしばある。

多くの人を巻き込むプロジェクトを進行させるには、四方八方に気を使わねばならず、無意識にも神経をすり減らす毎日だ。

そんな日々を何年もこなしているうちに、得るものよりも失うものに目が行くようになったのかもしれない。

これ以上、1人で考えていても仕方がない。そう思った私は、スマホを手に取るとメッセージを打ち始める。

『ランチいきませんか?聞いていただきたい話があります』

私は、新卒時代のチームの先輩2人にLINEを送り、ランチに誘った。昔はよくこのメンバーで女子会をしていたのだ。

昔からことあるごとに、数年先の人生を歩く先輩の姿に、自分の未来を重ねて想像してきた。

同じ会社の中でどんどん出世していく人や、転職して新しい世界に飛び立つ人、結婚や出産を機に仕事をセーブする人…。女には、様々なパターンの生き方がある。

先輩たちの背中を見つめながら、自分だったらこれは嫌とか、これは真似したいとか、そんな風に考えてしまう。

その週末、代官山『サンプリシテ』に集合した。「熟成魚」がウリで、魚介中心のフレンチが食べられるこの店は、私たちのお気に入りなのだ。

「華、久しぶりだね!いきなり会いたいだなんて、どうしたの?あ、ごめんね!座る前から本題を切り出しちゃった!」

昔から、変わっていない。エネルギーの塊みたいな陽子さん。

そのパワーとはかけ離れたような小柄で華奢なスタイルだが、彼女が来るだけでどんな場も明るくなる。

会社を4年前にやめてフリーランスとして活躍しているが、最近頻繁に活躍を耳にする。

「本当。そういうところ変わってなさすぎよ」とクスクス笑っているのは、エミさんだ。

社内1の美人として知られるエミさんは、出産を機に現場を離れて人事をしている。そのため関わりが薄くなってしまったが、現在も私と同じ会社に勤めているのだ。

注文を終え、私はさっそく話を切り出した。

「実は私、転職するか独立するかをずっと考えているんですが…。答えが出ないんです」

「なるほどね」

先輩ふたりの声が重なった。数秒の沈黙の後、最初に口を開いたのは、今も会社の先輩であるエミさんだった。

「辞めてほしくないな、私は。正直そこまで残ったら、社内だとそれなりに地位を築いているし。それを失ってまで挑戦することなのかな、って思うけど…

それに、企業勤めってやっぱりメリットが多いよ。逆にデメリットが見当たらないわ。手厚い福利厚生とかに救われているって感じること、歳重ねるごとに多くなるよ」

さすが、ひとつの会社に長く勤めているエミさんの言葉には頷いてしまった。実際、彼女の言うとおりだ。

社内である程度の地位を築いてしまったら、仕事がしやすい。これを一から他の場所でやり直す気力は正直ないし、会社員として生きてきて大きなデメリットを感じたこともない。

「ご意見、ありがとうございます」

一方で、それを遮るように陽子さんが続いた。

「うーん、独立は、迷っているならやめた方がいいよ。まあ、決めたいからこその迷いなのは分かるけど」

「…今のままの方が良いということですか?」

おそるおそる尋ねた私を、彼女はじっと見つめる。

「そう。だってうまくいくはずないから。」

厳しい言葉が、グサリと胸につきささった。しかし陽子さんは、容赦なく続ける。

「厳しいかもしれないけど、想像以上に苦難が多いよ。独立って甘くないの。だから、間髪あけずに会社辞めるくらいの勢いとエネルギーがないと、正直上手くいかないと思う。失うものがあるとか、そういう小利口な思考をしている人は、まず無理だね」

図星だ、と思った。図星すぎて、返す言葉が見つからない。

相談にのってくれたお礼を二人に伝えたものの、胸のあたりに何かがつかえたようなモヤモヤとした感情は、いまだに残ったままだ。

その後は他愛もない会話でランチタイムが終わり、じゃあまた、と別れようとしたとき、陽子さんが私を引き留めた。

「きついこと言ったけど、きっと華は決められたレールの上を外れることなく走ってきたんだよね。優等生すぎるのよ!たまには冒険も悪くないよ。…たとえば、衝動買いとかしたことないでしょ?」

そこまで言ったあとで、陽子さんは思いついたようにポン、と手を打った。

「そうだ、一度してみたら?衝動買い。自分の想定外なことをしてみるの。そのときの感情に身を任せて、何かを決めてみなよ?」

確かにそうかもしれない。私は今まで、一度だって人生の“冒険”をしたことがない。

陽子さんから「優等生」と言われた瞬間、私の頭をよぎったのは、後輩からかけられた「サラリーマンの鏡みたいだ」という皮肉めいた言葉だった。

「うまくいくはずない」とまで言われた女が、その後選んだ道とは?

いつぶりだろう、自分で自分にワクワクしたのは。二カ月後、私はフリーランスになっていた。

あの時の陽子さんの言葉を忘れることが出来ず、数カ月前に30歳をむかえた自分に何かプレゼントを買おうと思い立ち、買い物に行ったのだ。

いつもなら絶対に覗かない百貨店の時計売り場に足を踏み入れると、一番最初に目に入ったのが、シャネルのJ12だった。派手過ぎず、それでいて凛として輝いている。

そのイメージはまるで、何かをひたむきに頑張る、精神的にも経済的にも自立したオトナの女性そのものだった。

一瞬で決めた。これを持って帰ろうと。

カジュアルにもフォーマルにも使えて、大きさも複数種類があるという店員の話を聞きながら、38mmのホワイトにした。

金額が大きなものを衝動買いしてしまった。

入社以来コツコツ貯めてきた貯金の一部を使い、私にとっては初めての、即決の大きなお買い物。そわそわした気持ちだったが、それ以上に感じたのは、自分へのワクワク感だ。

こんなことはしたことがなかったし、するという選択肢を知らなかった。それにやろうという気持ちさえあれば、何でも出来ると実感できたのだ。

―頑張れるかもしれない。せっかくなら、転職じゃなくて独立しよう。

そう決めてからの行動は早かった。

次の日に上司に相談し、幾度となく退職ミーティングをした。新卒以来会社に身を捧げてきたおかげか、いくつもの良い条件を提案してもらえてありがたかった。

だが丁重にお断りすると「ま、せいぜい頑張って」という冷たい言葉。その5日後に最終出社日が決まった。

―代わりはいるのは知っていたけれど、あっけないものだな。

それからあっというまに有給消化に入った。

そしてなんと最初の仕事をくれたのは、辛辣な言葉を投げかけたあの陽子さんだった。

電話で報告をすると、彼女の声は弾んでいた。

「まさかあの一言を実践して決めたなんて。昔から一生懸命だったけど、びっくりしたよ。新しい自分の一面を知ったのね。決断したなら応援する以外ないよ。新しい案件手伝って!」

本当にありがたい存在だ。

明日からその案件に着手する。昔からセルフネイル主義なので、気合を入れるため新しいネイルポリッシュを買いに行ったら、お会計の女の子にこう言われた。

「素敵な時計ですね。私も欲しいです」

彼女からしたら、簡単にこの時計を買えるような成功した女に見えたかもしれない。

ありがとうございますと、かっこつけて返事をしたが、実際はまだ会社を退職したばかりの駆け出しのフリーランスだ。

きっとしばらくは、厳しい現実に直面することになるし、好きなお買い物だって当分はお預け。

けれど私は知っている。いつか必ず、自分が話題になる案件に関わって活躍できるという未来を。

これから何度傷ついても、あの日のワクワクを胸に生きていく。そしてそんな時間を、この時計がずっと刻み続けていくのだ。

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