2020-21シーズンは新星ブカヨ・サカが着用することになったアーセナルの7番。今季大ブレイクした若武者に手渡されることになった。
ではこれまでアーセナルの7番を付けていたのはどんな選手だったか?『Planet Football』のランキングを見ていこう。
7位:ネルソン・ビバス
アーセナル所属:1998~2001年
右サイドバックを本職とするアルゼンチン代表選手は、1998年にボカ・ジュニオルスからアーセナルへと加入。なぜか背番号7番を与えられていた。
リー・ディクソンとナイジェル・ウィンターバーンのバックアップとして起用され、プレミアリーグで40試合に出場。セルタ・デ・ビーゴへのローン移籍を経てインテルへと放出されている。
6位:ヘンリフ・ムヒタリャン
アーセナル所属:2018年~
2018年にアレクシス・サンチェスとのトレードという形でアーセナルに加わったムヒタリャン。そのデビューは素晴らしいものだったし、いきなりの3アシストは衝撃的だった。
しかしそれからチームでレギュラーを確保することに失敗、ウナイ・エメリ監督によって余剰戦力とみなされてしまった。ただローマへの期限付き移籍で再び才能を発揮し、来季もセリエAに残ることになった。
5位:ケヴィン・キャンベル
アーセナル所属:1988~1995年
1991年にアーセナルのリーグ優勝に貢献した選手の一人。アカデミーから昇格し、プレミアリーグで初めてアーセナルの7番を着用した選手になった。
彼は1993-94シーズンに公式戦19ゴールを記録し、UEFAカップウィナーズカップの優勝にも貢献。しかしデニス・ベルカンプの加入によってその居場所を失い、ノッティンガムへ移籍することを決断している。
なお、今季ストーク・シティで9ゴールを決めた20歳の若手FWタイリース・キャンベルは彼の実の息子に当たる。
4位:デイヴィッド・プラット
アーセナル所属:1995~1998年
英国の選手には珍しく、バーリ、ユヴェントス、サンプドリアとイタリア・セリエAでプレーしたという経歴を持つMF。1995年に母国へと戻り、1996-97年にはパトリック・ヴィエラとともに素晴らしい中盤を形成した。1997年11月のユナイテッド戦で決めたヘディングは今でも語り草となっている。
ただアーセナルでの3年目はエマニュエル・プティとジル・グリマンディの加入でレギュラーの座を失ってしまう。彼は1998年の夏から1年間サッカーを離れ、32歳で指導者の勉強をスタートした。
3位:アレクシス・サンチェス
アーセナル所属:2014~2018年
アーセナルでの3シーズン目を前にして、サンチェスは17番からお気に入りの7番にチェンジ。2016-17シーズンは24ゴール10アシストという素晴らしい記録を達成し、FAカップ優勝にも大きく貢献した。
しかし、その次のシーズンはそれまでの遺産を無に帰してしまうほどに調子が乱れ、まるでチームの造反者のように…ファンからも批判されたサンチェスは2018年にマンチェスター・ユナイテッドへと移籍しているが、未だにかつての彼には戻れていない。
2位:トマーシュ・ロシツキー
アーセナル所属:2006~2016年
2006年にボルシア・ドルトムントからアーセナルに加入した「チェコのマエストロ」は、ロンドンのファンに極めて愛された選手だった。怪我の問題に悩まされたにも関わらず、ボールを扱えば常に記憶に残るプレーを見せ、ピッチ内外問わずエレガントな人物であった。
2014年にはトッテナムとのノースロンドンダービーで見事なゴールを決めるなど、選手としての貢献は大きかった。アーセナルにとってパーフェクトなナンバー7であったといえる。
1位:ロベール・ピレス
アーセナル所属:2000~2006
そのトマーシュ・ロシツキーですらも敵わない伝説の7番といえば、ロベール・ピレスだ。2000年にマルク・オーフェルマルスの後釜として獲得された彼は、同じフランスからやってきたパトリック・ヴィエラやティエリ・アンリとともに強烈な印象を残した。
2003-04シーズンには伝説の無敗優勝を達成し、そのメンバーの中でも極めて大きな役割を果たした。アーセナルにいたのは6年間であったが、もっと長くプレーした気さえするレジェンドである。