誰かに頼る後ろめたさ  第4部 発信なき SOS(5)老々介護

子猫の誕生は、介護で疲弊していた勝さんの癒やしになり、医師らが夫婦を離す好機にもなった=6月5日、那須町

 引き戸を開くと強いアンモニア臭が玄関まで漂う。畳に敷かれた布団は尿で繰り返し汚れた形跡があり、じっとりとぬれている。

 2015年11月、片岡信江(かたおかのぶえ)さん(80)=那須町、仮名=の往診に訪れた医師の最初の仕事は、信江さんを汚れた布団から乾いた布団に移すことだった。信江さんは2カ月前に転倒し、寝たきりになっていた。

 夫の勝(まさる)さん(78)=仮名=には「何でも自分でやってきた」という自負があった。過去には自営業を営み、自力で自宅を建て増しした。米も野菜も作った。

 数年前までは体が利いた。だから、信江さんが倒れても誰かに頼る気は毛頭なかった。農業ができなくなり経済的にも追い込まれていたが、相談先も知らずに一人で抱え込んでいた。

 見かねた民生委員の訴えで生活保護と介護保険の申請が通り、在宅療養を続けることになった。

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 訪問介護・看護、デイサービスのスタッフが毎日代わる代わる支援に入ったが、脳梗塞を起こし認知機能が衰えた信江さんの言動は、最も近くにいる勝さんの心をむしばんでいった。

 自力で動こうとしてベッドから転落したり、感情が抑制できず勝さんをいら立たせたりした。

 周囲の目には勝さんの介護能力に限界も見えた。共倒れを懸念した支援者らは、18年末、信江さんを施設に入れるよう働き掛けた。

 「おっ母は内気だから輪の中に入れねぇ。余計に具合が悪くなるんじゃないか」。そんな不安があり、勝さんは「俺がやらなきゃ」と踏ん張った。

 説得を重ねていた19年5月、信江さんは意識を失い入院することになった。

 「施設でなければ信江さんの体調を管理できない」。さまざまな職種のスタッフが勝さんに強く訴え、特別養護老人ホームの入居契約にこぎ着けた。

 周囲が懸念した「最悪の事態」。2人を引き離したことで、それは免れた。

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 勝さんが独居になって4カ月がたった今年3月。ラジカセから流れる歌謡曲が山あいの一軒家に鳴り響いた。数十年前の自身の歌声に耳を傾けながら、勝さんは大好きなカラオケの思い出を冗舌に語った。

 介護から離れ、笑顔が増えた。愛猫をかわいがり畑仕事に精を出すなど、以前の姿を取り戻しつつあった。

 一方で、当初から関わってきた菅間在宅診療所の医師黒崎史果(くろさきふみか)さん(41)は「勝さん自身の生活の立て直しが次の課題」と危惧する。物が多い住まいには転倒の危険が潜み、光熱費はやけに高い。健康状態も気に掛かる。

 傾聴ボランティアや居宅支援、カラオケ-。あの手この手で社会とのつながりをつくろうとするが、当の本人は「気分が乗らねぇ」と首を横に振る。

 孤立や貧困など健康を脅かす社会的な要因に着目し、必要な地域資源につなぐ「社会的処方」。新しい医療のあり方として注目を集める一方、本人が支援を望まない場合にどこまで介入できるかは課題の一つだ。

 支援者らにひとしきり感謝した後、勝さんは「でもよ」と言葉を続ける。

 「迷惑掛けちゃなんねぇってのが最初に立つ。なのに自分ではできなくなってきて、誰かに頼まなきゃなんねぇ。そう思うと気持ちがおかしくなっちゃう」

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