地域の後押し 応える戴冠 「甲子園アルプスで同窓会を」

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夏の大会で初優勝した大崎の選手たちをたたえるスタンドの保護者ら=県営ビッグNスタジアム

 大崎が高校野球で再び盛り上がることを、どれだけの人が予想していただろうか。青空の下、夏の王者となった選手たちがスタンドに頭を下げると、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
 チームの歴史は約60年前にさかのぼる。1961年、軟式から転向して臨んだ初陣の秋の県大会でいきなり優勝して九州大会へ。海星や長崎商など県南地区の学校が優位だった時代、県北のチームが県の頂点に立ったのは初めてだった。続く62年の夏も佐賀の代表校と全国切符1枠を争う西九州大会決勝まで進んで惜敗。甲子園へあと一歩に迫る鮮烈な船出だった。
 「全校生徒が体育座りでラジオに聞き入って応援した。声を出すと聞こえなくなるので、みんな一生懸命に耳を傾けていた」。当時の女子バレーボール部主将、岩永房子さんはこう振り返り、生徒会役員だった男性も「炭鉱閉山前だったので、町にも子どもにも勢いがあった。九州大会のときは学校長たちと寄付をもらって回った」と懐かしむ。
 ただ、その後は夢がかなうことはなく、チームは徐々に低迷。「大崎」の由来となる西海市大島・崎戸地区の人口は60年前の約4万人から現在は約6千人まで減り、生徒数も5分の1ほどになった。近年は他校と合同チームでなければ大会に出られない時期もあった。
 そんな中、2018年に清水央彦監督が就任。清峰や佐世保実を全国に導いてきた指揮官の熱意に行政や地域、保護者、そして選手が呼応した。市は老朽化が進んでいた野球場などの施設を再整備し、大島造船所や地元企業、卒業生らで支える後援会は資金集めや老若男女へのPRに奔走。選手たちは厳しい練習に耐えた。スポーツでの町おこしが一気に進んだ。
 清水監督が就任して、今年で3年目。チームは結果を出した。1961年以来の秋の優勝に続き、ついに夏の王座も奪取。甲子園に行ける力を示した。コロナ禍で甲子園は消えたが、選手、スタンド、地域は沸いた。
 58年前のエース、中山正美さんは「今の力があれば来年も行ける。生徒が自信を持てば変わる。過信をせず、これからも頑張ってほしい」と後輩たちのさらなる飛躍に期待を込め、同市の少年ソフトボールチーム大串球友会の田添琉衣君は「強いと思った。来年から軟式野球を始める。夢はプロ選手。大崎に入ってみたいと思った」と目を輝かせた。
 優勝後、清水監督は、こう言葉に力を込めた。
 「大崎の同窓会の場所が甲子園のアルプスになる。それが目標であり、地域の応援に報いることだと考えている」