救援列車 負傷者であふれ 「被爆体験の深化講座」開催

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「列車の中で既に死んでいる人もいた」と当時の様子を語る早崎さん(右)=長崎原爆資料館

 長崎平和推進協会継承部会は2日、長崎市平野町の長崎原爆資料館で「被爆体験の深化講座」を開いた。被爆者の早崎猪之助さん(89)と築城昭平さん(93)が負傷者であふれた救援列車内の様子などを語った。
 被爆体験を継承しようと、同部会の継承交流班が昨年から開いており4回目。市民ら約40人が参加した。
 早崎さんは14歳の時、三菱長崎兵器製作所大橋工場(爆心地から1.1キロ)で被爆。屋内の頑丈な柱のそばにいて命を落とさずにすんだ。
 救援列車で実家がある南島原市の深江に帰ろうとしたが重傷者優先で乗車できず、午後8時前後に出発した4本目の救援列車にようやく乗ることができた。早崎さんは当時の列車内の様子を「列車の中で死んでいる人や、皮膚がむけ、体にガラス片が刺さっている人がいた。熱風で喉をやけどし、誰ひとり話をしていなかった」と振り返った。警報が鳴るたびに列車が止まり、約2時間半かけて諫早駅に向かったと明かした。
 築城さんは誘導員らから聞いた話を基に講話。負傷者3500人超が救援列車に乗ったとし「列車がなかったらもっとたくさんの人が亡くなっていたと思う」と話した。