ゴダイゴ「銀河鉄道999」にみる作家性と商業主義の両立 1979年 8月4日 アニメーション映画「銀河鉄道999」が劇場公開された日

佐藤雅彦の言葉「制約が、人間の知性の翼を羽ばたかせる」

クリエイティブの世界で、常に議論になるテーマがある。それは――「作家性と商業主義は両立できるか?」というもの。

映画にしろ、テレビドラマにしろ、あるいは音楽にしろ、常にそのテーマは付きまとう。スポンサーの意向は無碍にはできないし、かと言って聞きすぎて、作品のコンセプトが霞んでしまうようだと本末転倒である。誰からの出資にも頼らず、一人で作ってネットに発表するなら別だけど。

僕の考えを言わせてもらうと―― 両立できると思う。

例えば、スタジオジブリ制作の宮崎駿監督の映画に『紅の豚』がある。かの作品は当初、日本航空の機内上映用の短編映画として企画されたが、脚本を書き進めるうちに尺が延び、結局90分を超える長編となり、劇場公開されたという。

同映画に、決定的な墜落シーンは登場しない。それは日本航空がスポンサーだからである。でも、それで作品のクオリティが下がったかというと、違う。飛行艇のドッグファイト(空中戦)もちゃんと描かれているし、機体が破損しても、飛行艇なら海上に着水できる。「墜落しない」縛りが、逆に作品の世界観を膨らませたのである。

かの佐藤雅彦さんの有名な言葉がある。

「制約が、人間の知性の翼を羽ばたかせる」

そう、人はフリーハンドの状態よりも、何か制約がある方がクリエイティブの能力を発揮しやすいという意味である。

ゴダイゴにみる作家性と商業主義の両立

ゴダイゴというバンドがある。かつて70年代の終わりに立て続けにヒット曲を出して、一世を風靡した5人組だ。85年に一度解散したが、2006年に2度目の再結成をして、現在も活動は続いている。ちなみに英語表記は「GODIEGO」。まさに、GO(生きて)・DIE(死して)・GO(再び生きる)を体現している。

―― いや、そんな小ネタを披露したいんじゃなかった。ゴダイゴの作家性と商業主義の両立の話である。

彼らのデビューは1976年。ミッキー吉野率いるバンドに、既にソロデビューしていたタケカワユキヒデが加わる形で結成された。だが、2年ほどは売れない時代が続く。

当時のゴダイゴの曲は、全て英語の歌詞だった。彼らのプロデューサーを務める奈良橋陽子さんが英語で作詞し、タケカワユキヒデが曲を付ける。それは彼らなりのアイデンティティーだった。CMソングや映画の挿入歌などのタイアップの仕事でも、その姿勢は変わらなかった。

1978年秋、ゴダイゴはデビュー以来の危機を迎える。次の7枚目のシングルが売れなければ、解散するという。そこで捨て身となった彼らは、初めてクライアントの声に耳を傾ける。リクエストは「日本語の歌詞」だった。そしてリリースされたのが、日本テレビ系のドラマ『西遊記』のエンディング曲「ガンダーラ」である。

同曲は、ドラマの人気も手伝い、オリコン年間6位となる大ヒット。そのジャケットも、ゴダイゴの5人が西遊記のメンバーに扮するタイアップ色を前面に出したものだった。ちなみにミッキー吉野に選択の余地はなく、当たり前のように猪八戒に扮していた。

―― そう、作家性と商業主義の両立がそこにあった。英語の歌詞から日本語の歌詞へ、そしてタイアップを前面に押し出したジャケット―― だが、それでゴダイゴの音楽性が失われたわけではない。逆に、それを機に彼らの快進撃が始まった。「モンキー・マジック」、「ビューティフル・ネーム」、「ホーリー&ブライト」―― 78年暮れから79年にかけて、ヒットチャートにゴダイゴの名を見ない日はなかった。

映画主題歌「銀河鉄道999」の最も正しい鑑賞法は?

そして極めつけは、1979年7月1日にリリースされた、彼らの11枚目のシングル「銀河鉄道999」だ。そのジャケットはメーテルが大きく扱われ、5人は卒業写真で欠席した生徒のように、小さく囲みで処理されている。言うまでもなく、同名映画の主題歌である。曲と映画のタイトルが同じ。100%のタイアップだ。

当時、彼らは多忙を極め、タケカワユキヒデはレコーディングの前日、わずか一晩で曲を書き上げたという。それにミッキー吉野が珠玉のアレンジを施した。

その夏、僕はクラスの仲間と一緒に、かの映画を見るために映画館に出かけた。その年は4月に『ドラえもん』と『機動戦士ガンダム』のテレビ放映が始まり、12月に映画『ルパン三世 カリオストロの城』が封切られるアニメの当たり年だった。

映画のラストシーン。メーテルを一人乗せた999が旅立つ。追いかけて見送る鉄郎。やがて汽車は一筋の光となり、空の彼方へ―― そこに城達也さんのナレーションが被さる。

 今 万感の思いを込めて 汽笛が鳴る
 今 万感の思いを込めて 汽車が行く
 ひとつの旅は終わり
 また新しい旅立ちがはじまる
 さらばメーテル
 さらば銀河鉄道999
 さらば―― 少年の日よ

―― 切ない。人の別れと言うのは、なぜかくも切ないのだろう。スクリーンは鉄郎の背中を映す。もう汽車の姿はなく、ただ汽笛だけが聴こえる。

その時だった。チャーンチャーンと軽快な前奏が始まった。それはゾクゾクするほどカッコよく、客席を覆っていた重たい空気が一瞬で霧散した。

 さあ行くんだ その顔をあげて
 新しい風に 心を洗おう
 古い夢は 置いていくがいい
 ふたたび始まる ドラマのために

僕は今に至るまで、これほどカッコいい映画のエンディングを見たことがない。断言する。この曲は、映画のラストシーンとセットで観る(聴く)のが最も正しい鑑賞法である。少々長くなるが、鉄郎とメーテルの別れの場面から見るのをお薦めする。

そう、作家性と商業主義は両立できるのだ。

※2017年7月1日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 指南役

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