私たちの問題としてヘイトを撃つ 【カナロコ・オピニオン】カウンターを呼び掛ける

 きょう31日、川崎市内で12回目を数えるヘイトスピーチ(差別扇動表現)デモが行われる。私は抗議のカウンターに1人でも多くの人が参加するよう呼び掛ける。少数者を攻撃する差別集団を言下に非難、拒絶し、公正とは何かを示すために、である−。

 「しばしば忘れられることだが」とリタ・イザックさんは言った。国連のマイノリティー(少数者)問題特別報告者。25日、都内で開かれたシンポジウムでヘイトスピーチの害悪について警鐘を鳴らした。

 「それはマジョリティー(多数者)の社会も影響を受けるということだ。社会の中にある敵対心に鈍感になり、ステレオタイプ化されたマイノリティーの人たちが『自分たちより劣った存在である』という言説をうのみにし、それが社会規範になってしまいかねない」 リタさんが強調したのは、したがって、大多数に向けたメッセージこそが重要だということだった。つまり「私たちの問題」だ、と。

 「ヘイトスピーチの危険性はこれが最初の一歩になるということにある。ヘイトクライム(憎悪犯罪)は、誰かが特定のグループを対象にせよと言わずして起きることはない。近隣を見回し、いきなり憎悪を抱くということはない。コミュニティーは通常、平和裏に共存している。人々の態度が変わるのはヘイトスピーチを耳にしてからで、イスラム教徒はこうだ、キリスト教徒はこうだというメッセージを聞くと近隣が疑わしくなり、監視するようになり、最終的に隣の家を焼くということになる」 日本人と在日コリアンが軒先を重ね、商店街であいさつを交わし、子どもたち学校で机を並べ、病院の待合室で健やかなる日々を確かめ合う、川崎・桜本の日常がまぶたに浮かんだ。

 「だからこそ国としてのスタンスを明確にするべきだ。それがヘイトスピーチを規制する法律をつくるということであるべきだと私は思うが、公のハイレベルの立場にある人物、政治家が批判するのでもよい。国が何らかの対応しなければいけない」 そして、ヘイトスピーチ規制が表現の自由を侵害するのではないかという懸念については「どのような制約であっても表現の自由に干渉するというのは事実だ。だが、国際法の下で制限は適用可能であると定められている。心配することはない」と言い切った。

 いかなる社会でも無制限な表現の自由など存在せず、児童ポルノであったり、ジェノサイド(大量虐殺)の扇動であったり、その社会ごとに許容不可能な言動があるという認識は論じるまでもなく、何よりヘイトスピーチは弱い立場の人たちの言論を沈黙させ、その暴力から守られる権利は基本的人権として存在するという世界のスタンダード。

 川崎市の、それとはほど遠い対応を思う。■尊厳 京浜工業地帯の工場郡までひと足、在日コリアン集住地域として知られる川崎区桜本の中学校に通う少年がマイクを握ったのは23日、「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」が開いた集会だった。

 〈近づこうとしたら警察に止められ、あっち行け、来るなとひどい暴言を言われました。差別する人たちに駄目と言っただけなのに、何で止められないといけないんだと思いました〉 涙で途切れ途切れになるスピーチを最前列から在日コリアン3世のオモニ(お母さん)と日本人の父が見守っていた。

 13歳の真っすぐな目に焼き付くヘイトデモの光景。昨年11月8日、それは差別団体「在日特権を許さない市民の会」のホームページで「反日汚鮮の酷い川崎発の【日本浄化デモ】を行います」と告知され、集合場所の公園で「川崎に住むごみ、ウジ虫、ダニを駆除するデモを行うことになりました」と宣言され、練り歩いたバス通りで「半島、帰れ」と在日コリアンの排斥が叫ばれた。

 川崎市内では2013年5月からJR川崎駅前の繁華街周辺でこれまで11回のヘイトデモが繰り返されてきた。その一団が初めて自分たちの街、桜本へと向かってきた。

 〈小学校の卒業式や中学校の入学式でオモニはとってもきれいなチマチョゴリを着ます。地域を歩いていると「アンニョン(こんにちは)」と保育園の先生や地域の人があいさつしてくれます。「オモニはプンムルノリ(朝鮮半島に伝わる伝統芸能・農楽)がとっても上手でいいね」「(異なるルーツや文化を持つ市民が交流する施設)ふれあい館でオモニが働いているなんてうらやましい」と言ってくれる友だちもたくさんいます〉 〈僕には日本人の友だちや同じコリアンダブルの友だちやフィリピン、ベトナム、ブラジルにルーツを持つ友だちがたくさんいますが、その違いでからかわれたり、からかったりすることなく過ごしてきました。だから11月8日にヘイトデモが桜本に来ると聞いたときは正直、こんないい街に何しに来るんだ、来ないでほしいと思いました〉 少年は沿道へ飛び出し、抗議のカウンターに走った。

 〈父やオモニは嫌な思いをするからと、僕がヘイトデモの反対行動に行くことを心配しましたが、デモでひどいことをしてる人たちに、普通にみんなで仲良くよくやっていることを説明すれば分かってくれる、話し合えば分かってもらえると思えたんです。ところが、僕の想像以上にヘイトデモはひどい状況でした。差別はやめろ、共に生きようと語り掛ければもう来なくなる、差別もなくなると思いました。けれどやつらはへらへらと笑いながら挑発をしてきました〉 少年は、スピーチを引き受けた理由を「話すことで差別がなくなるきっかけになればと思った」からだという。ただ、これを差別に立ち向かった少年の勇気ある行動といった美談で終わらせるわけにはいかない。

 差別主義者たちが唱道する排外の思想は一人一人の多様性こそを撃つ。二つの文化背景を受け継ぐ少年は、この街で大切に育まれてきた尊厳を踏みつけにされ、歯を食いしばって立ち上がるほかなかった。

 自分が自分であるために。そして母、友だちのために。

 自身は子どものころ、出自を明かせぬ「隠れコリアンだった」在日3世の母は「わが子のスピーチを誇らしく聞いたが、差別がなければこんなことをする必要もないと申し訳なかった」と複雑な思いを口にした。若き日より、社会福祉法人職員として地域で民族差別をなくそうと奔走してきた父は「自分や家族やみんなのことをしっかり思って生きてくれていることが分かり、うれしかったが、こうしたことがいつまで続くのかというむなしさもある。これからもみんなで生きていけたら、と思う」と泣いた。■認識 集会から4日後の27日、市民ネットワークのメンバーが川崎市役所を訪れた。手には集会で決議された、市と市議会に宛てた要請書があった。実態調査などヘイトスピーチ対策を盛り込んだ行動計画をつくり、「ヘイトスピーチを許さない、人権の街・川崎宣言」をするよう求めるものだった。

 在日1世のハルモニ(おばあさん)や3世のオモニらメンバーが砂田慎治副市長が面会し、「ヘイトスピーチを見聞きした当事者は心に大変な傷を負う。市として根絶のための運動を起こしてほしい」と訴えた場にも同席していた市人権・男女共同参画室の石川正嗣室長の口ぶりにしかし、失望を覚える。「規制する法律がなく、何がヘイトスピーチにあたるのか判断が難しい」という及び腰はもちろん、それ以前の根本的でより重大な問題を抱えているようだった。

 「いわゆるデモがあるのは確認しているが、沿道からデモに抗議する人たちの声で騒然としていて、何を主張しているのかよく聞き取れない」 自分たちの街で何が起きているのか分かっていないのなら対策の取りようがなかった。

 そもそも聞こえないというのは本当だろうか。職員はデモのたびに足を運び、「市の外国人施策を批判しているということは確認している」という。だが、なぜだろう、たとえば11月のデモで私の耳には届いた「川崎に住むごみ、ウジ虫、ダニを駆除するデモを行うことになりました」「半島、帰れ」という声は把握していないのという。沿道からデモの列に近づいたり、動画投稿サイトにアップされる映像をチェックしたりはしていないという。

 聞く気はあるのか。

 在日コリアンの排斥を目的とした文脈で使われていることが押さえられていないから、「福祉手当を廃止しろ」というコールがまともな政治的主張に聞こえてしまう。そういう姿勢だからだろう、「川崎市の多文化共生事業をぶっつぶせ」という、文脈にかかわらず、異なるルーツや文化背景を持つ人の尊厳を傷付ける言葉が、そのように認識されていない。

 石川室長は「法に触れているわけではない。市としては法務省がつくった『ヘイトスピーチ、許さない。』というポスターを掲示するよう公共施設に配布しているが、それ以上の対応は難しい」と言う。「人権侵害が頻発しているという状況だという認識はない」とも言った。そうであるなら、少年が流した涙のわけをどう考え、受け止めるというのか。

 差別主義者たちはなぜ、電車に乗って川崎へやって来て、ヘイトデモを繰り返すのか。それは、川崎市こそは公務員採用の国籍条項撤廃や外国人市民代表者会議の設置といった全国的にも先進的な人権施策に取り組んできた自治体だからだ。差別主義者は川崎を狙い撃ち、時計の針を巻き戻そうとしている。

 この国で遅々とした歩みながら前進してきた戦後の人権行政と差別・排外主義がせめぎ合う最前線がここにある。川崎市はその認識を持ち得るだろうか。■希望 31日のヘイトデモを「川崎発日本浄化デモ『第二弾!』【反日を許すな】」と告知しているのはこれまでと同じ、津崎尚道氏である。

 石川室長によると、当日は外国人市民代表者会議の次期委員の面接があるため約20人の職員は全員出払っていて、1人も現場に向かわないという。

 「代わりに、公園の使用許可を出した道路公園センターに、デモ参加者の発言の記録と参加人数を確認しておくよう依頼しておいた」 市民ネットワークは抗議行動への参加を呼び掛けている。

 デモの参加者は川崎区の富士見公園ふれあい広場に午後1時半から集まり始め、午後2時半まで集会を行い、街中へ繰り出す。

 抗議のカウンターは午後12時半、JR川崎駅東口で始まる。これから行われるデモがいかにひどいものであるかを告知することで差別扇動を無効化する。その後、集合場所の富士見公園に移り、午後1時半からリレートークをぶつける。地域の暮らす日本人や在日の当事者、さまざまな人がマイクを握り、この街は差別を許容しないという態度を示す。

 それは差別主義者でも差別を受けている当事者でもない、正当な差別があると信じてしまうかもしれないその他大勢に向けたものでもある。

 リタさんも言っている。

 「ヘイトスピーチをする人は日本では少数派といわれるが、実際には広く許容されている。社会としての最大の課題はサイレントマジョリティー(物言わぬ多数派)をいかに動員し、行動を取らせるか。デモに対し、その人たちを許容しないと発信するよういかに私たちを説得するか、だ」 少年は再び抗議の沿道に立つという。差別はやめろと叫び、そして、確信を持って差別を繰り返すレイシストの改心はもはや難しいという現実をまたも突き付けられるだろう。その絶望を思う。

 一人にはすまい。

 絶望以上の希望を見せるのだ。社会を壊す害悪としてヘイトスピーチを非難する。レイシストの居場所などないのだと二重、三重の人垣をつくり、拒絶の意思を示す。悪罵で社会の公正がゆがめられたなら、倍なる声で押し戻す。

 もしあなたが、初めてカウンターに参加するのなら、少年を守る壁となり、知るのだ。差別主義者の息づかいを、そして、差別の現実を。

 見られよ。「半島、帰れ」と連呼する差別主義者がヘラヘラと浮かべる、しかし、目の奥は決して笑っていないあざけりの笑いを。その一団が大手を振って街中を闊歩するさまを。

 見よ。この街に暮らす自分と在日コリアンの母、そして友だちたちを思い、沿道から「差別をやめろ」と叫ぶ、少年の涙を。その少年をトラブル防止のためとだと排除し、結果、差別主義者が差別する自由を守っている警官隊の列を。

 その様子を遠巻きに眺めているだけの、この社会のその他大勢を。あるいは、反対している人も乱暴な言葉を使っていて、これじゃあどっちもどっちだなと冷や水を浴びせ、だからといって異なる方法で差別を止めようとしない傍観を。

 そして眺めるどころか、市の人権担当職員が一人もその場にいないという、市のそれ自体が差別としか言いようのない無責任な姿勢を。

 その光景を目に焼き付け、そのいずれをも放置し、容認してきた自分たちの社会の醜悪さの映し鏡として、撃つのだ。

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