地元が被災、元「ブルゾンちえみ」はどう行動したか 西日本豪雨で岡山の実家浸水 自らできること考えた日々

 地元が災害に巻き込まれたら、離れて暮らす自分に何ができるのか―。「ブルゾンちえみ」として人気を博したタレントの藤原史織さん(30)は2018年7月の西日本豪雨で、岡山に住む家族や友人が被災した。当時、東京で多忙な生活を送っていた。「遠くにいてもできることがある。遠くにいるからこそできることがある」。自ら考え、行動した日々を振り返ってもらった。(共同通信=寺田佳代)

インタビューに答える「ブルゾンちえみ」として人気を博したタレント藤原史織さん=6月4日、東京都渋谷区

 「雨が降りやまない」。18年7月の1週目。母親とのLINE(ライン)のやりとり中で、こんなメッセージが届き、坂を下った先にある実家の様子が少し気になった。ただ、岡山は災害が少なく、そのときは深刻に受け止めることはできなかった。

 7月7日に送られてきたラインの写真に目を疑った。自宅の外一面が浸水していた。友人の家や母校も被害を受けた。インターネットや会員制交流サイト(SNS)で現地の情報を集めて発信しようとしたが、災害時の情報はどんどん古くなる。スマートフォンに慣れていても、どのサイトを見ればいいのか分からない。「最初は多くの人がパニックになっているようだった」

2018年7月、被災した藤原史織さんの実家からの様子=岡山市(本人提供)

 誤った情報を流さないように心掛ける中、頼りにしたのは信頼できる家族や友人の「生の声」だった。今、何を伝えるべきかを考え、自分なりに優先順位をつけた。ボランティアへの参加方法など、すぐに必要と判断したことを、インスタグラムやツイッターで積極的に共有した。

 子どもがいる友人に「ウエットティッシュが足りない」と言われ「あったら助かるけど、1人暮らしだと気付けなかった視点だった」。メッセージによる支援だけではもどかしく、ボランティアに参加しようと、仕事の合間を縫って豪雨から約1カ月後に帰省した。

 岡山市東区の実家は1階が浸水被害を受け、両親、妹は狭い2階でペットの猫6匹と暮らしていた。台所や風呂はろくに使えず、食事はコンビニ頼み。家族のアルバムや思い出の詰まった家具は駄目になった。必要最低限の生活ができないしんどさを感じ、1泊しただけで、どっと疲れが出た。家は大規模半壊の判定を受けた。

 ボランティアは個人で応募し、岡山県倉敷市の真備町地区に入った。至る所に浸水ラインが残り、人が住めなくなった場所もあった。とにかく人手が必要で、こつこつと片付けるしかない状況。ひどい暑さの中、中年の男性、若い女性らと一緒に、被災した家からがれきをひたすらかき出した。

18年8月、岡山県倉敷市の真備町地区でボランティア活動に参加した藤原史織さん(本人提供)

 「みんな当たり前のように作業していた。心構えの必要はなく『これでいいんだよね』と思えた」。ブルゾンちえみとしておなじみの濃いアイメークで作業した。被災地で適切かどうか迷ったが、メーク姿の方が喜ばれると思った。休憩中には避難所を訪ね、被災した人たちのパワーに元気づけられた。「こういう気持ちが復興に向かっていくんだ」と感じた。

 東京に戻り、現地で見たことやボランティアの流れ、必要な持ち物などを投稿した。それを目にしてボランティアに参加した人もいた。「自分は人に見られる仕事をしている。これからも責任を持って情報発信していきたい」

 自分の生まれ育った岡山が被災したことで、いつ、どんな形で災害の当事者になるかどうか分からないと実感した。「安全な場所にいる人が(被災地に)いかに働き掛けるかが大事。特産品を購入したり、旅行先に選んだりするだけでもいいのでは」と提案する。

インタビューに答えるタレント藤原史織さん

 今春、所属事務所を退所し、現在は本名で活動する。イタリア留学を予定していたが、新型コロナウイルスの影響で延期になった。「『何でこんなこと起きるんや』とも思うけど、起きたからこそ学べたこともたくさんあった。この経験は無駄にならない」と前を見据える。

 ブルゾンちえみとして世に出たとき、岡山の人たちが喜んでくれたことがうれしく、原動力になった。「岡山は自分の一部。故郷に恩返しがしたい」。今も真備町地区の現状をネットで検索するが、新しい情報にはたどり着きにくくなった。「2年という月日は、まだまだ復興の途中。力になりたい。離れていても心は同じです」

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