「3年ぐらいでやめようと思っていた」女子バレーボール新鍋理沙、引退後に語る真実

東京五輪を目指すバレーボール女子日本代表の中心選手の一人と目されながら、突然の引退発表で世間を驚かせた新鍋理沙。久光製薬スプリングス(現:久光スプリングス)と代表で長年共に戦った日本代表の中田久美監督は、「いろんなことが彼女の中で重なってしまったんだろうなという感じ。五輪でメダルを取ることがどれだけ大変なことか、一番わかっている選手ですし、本当に妥協をしない人なので。相当悩んだ決断だったと感じています」と語った。

当初は、「久光で3年ぐらい頑張って、試合に出られなかったらもうやめよう」と考えていた新鍋の人生は、2012年ロンドン五輪の銅メダル獲得や、中田監督との出会いで大きく変わったという。同級生・岩坂名奈とのエピソードも含め、新鍋が“あの時”と引退を決めた“現在”の思いを語る。

(文=米虫紀子、トップ写真=Getty Images、写真提供=久光スプリングス)

日本代表や五輪にいけるなんて思っていなかった

──2012年のロンドン五輪には22歳で出場。決勝トーナメントでは先発に定着し、28年ぶりの銅メダル獲得に貢献しました。当時は日本代表2年目でチーム最年少でしたが、初の舞台でも動じることなく、堂々とプレーされていましたね。

新鍋:オリンピックという大会が、すごく大きいものだということはもちろんわかっていたんですけど、そういうことを考えると、絶対、私ダメだなと思ったので、なるべく「オリンピックだー」と思わないようにしよう、余計なことを考えないようにしようとは思っていました。

──他の国際大会と同じだ、というくらいの感覚で?

新鍋:はい。今考えたら、全然違うんですけど(笑)、あの時は、本当に考えないようにしていました。

──「オリンピックに出ると人生が変わる」という言葉を聞きますが、新鍋さんはどうでしたか? 人生変わりましたか?

新鍋:変わりましたね。私は久光を3年ぐらいでやめようと思っていたので(笑)。入社した頃は、まさか自分が(Vリーグで)試合に出られる日がくるとは全然思っていなくて、3年ぐらい頑張って、試合に出られなかったらもうやめようかなって思っていたんです。そういう意味ではすごく変わりました。

──日本代表や五輪というのは当初は目標にしていなかったんですか?

新鍋:自分がいけるなんて思っていなかったです(笑)。

──それが、サーブレシーブを武器にして久光2年目の2010-11シーズンのVリーグでレギュラーとして活躍し、2011年に代表に選出され、翌年のロンドン五輪へとつながったんですね。その後、代表から離れていた時期もありましたが、2017年に再び日本代表へ。2012年から久光で監督を務め、2016年10月に代表監督に就任した中田久美さんの存在が大きかったのでしょうか?

新鍋:(代表監督が)久美さんじゃなかったら、たぶんそのままバレーもやめていたかなと思います。

──そうなんですか。ロンドン五輪でメダルを獲得し、Vリーグでも幾度も優勝を経験し、達成感があったのでしょうか。

新鍋:2015-16シーズンのVリーグが、レギュラーラウンドで連敗があったり、ファイナルラウンドでも3連敗したりとすごく波がある苦しいシーズンだったんですけど、決勝にたどり着いて、決勝の相手が日立リヴァーレでした。日立にはそのシーズン一度も勝てていなかったんですが、決勝で勝つことができて、なんかもうすごく「やりきった」という気持ちが大きかったので、「もういいかな」と思ったんです。

「一緒に頑張りませんか?」という言葉をいただいて

──そんな時に、久光で共に戦った中田監督が代表監督に就任して、思いが変わったんですか?

新鍋:「一緒に頑張りませんか?」という言葉をいただいて。その時もすごく迷ったんですけど、でもやっぱり、その時も、今も、久美さんがいなかったら私はここにはいない、という思いがあったので。本当にたくさん迷惑もかけてしまったし、たくさん助けてもらって、とても大きな存在だったので、久美さんと一緒に戦いたいなという気持ちがあって、「よろしくお願いします」というふうに言いました。

──中田監督との出会いによって、新鍋さんはどんなふうに変わったのでしょうか。

新鍋:久美さんが久光の監督になって最初の頃は、ずっと「メダリストなんだからね」というふうに言われていました。ロンドン五輪の頃までは、自分のことで精一杯で、先輩方に助けてもらいながらやっていた部分が大きかったんですけど、(ロンドン五輪でメダルを獲得し)立場が変わって、でも自分の中ではたぶん変われていなかった。そこで久美さんにそういう言葉をかけていただいて、「あ、変わらなきゃいけないな」と気づきました。

それまでは引っ張ってもらっていた立場だったし、しょうもないミスをしても許されていた部分もあったけど、もう簡単なミスは許されない。自分は、周りを引っ張るというのが苦手なほうで、言葉でうまく人に伝えるというのも得意ではないので、引っ張るってどういうことなのかがわからなかったんですけど。でも自分なりに、プレーでもそれ以外でも、自分のやるべきことにしっかり責任を持って取り組んでいこうと思うようになりました。

──中田監督に「迷惑をかけてしまった」というのは?

新鍋:たくさんあるんですけど、私は結構試合中にもすぐイライラしていたので(苦笑)、よく声をかけてもらっていました。人に対してのイライラではなくて、自分のプレーなどに対してのイライラだったんですけど。そういう、自分ができないことに対してイライラした時は、1回落ち着いて、「私が下手くそだからできないんだ」と頭の中で言い聞かせて、切り替えるようにしました。

──今できなくても仕方ない、その分あとで練習しよう、という感じですか。

新鍋:そんな感じです(笑)。

「ごめん」って。結局泣いちゃいました。名奈も、私も

──久光は2011-12シーズンから2018-19シーズンまで8年連続でVリーグのファイナルに進出し、そのうち5度優勝という常勝チーム。シーズン中は、勝った試合後の記者会見でもあまり笑顔はなく、新鍋さんはいつも反省点を挙げていた印象があります。

新鍋:たぶんファイナルの後ならうれしさが勝つんですけど、レギュラーラウンドの試合だと、「勝ったけどあれがダメだったな」とか「あのままじゃ次、勝てるかわかんないよな」とか、もう次につなげるためのことを、私だけじゃなくみんな考えていたと思います。

──高校卒業後11年間プレーされた久光には、今後どんなチームになってほしいですか?

新鍋:久光には若い選手もすごく多いですし、いろんなことができる能力の高い選手が揃っています。昨シーズンは7位という結果で終わってしまったので、次は結果を残してほしいと思います。でもやっぱりまずは、みんながケガなく、思いっきり、試合に自信を持って臨めるように頑張ってほしいなと思います。

──同級生で、久光でも日本代表でも共にプレーした戦友の岩坂名奈選手には、引退をどのように伝えたんですか?

新鍋:それは、いつ言おうかなってすごく悩んで……。2人だけの時に言うほうがいいのかなとも思ったんですけど、でも改まって「ちょっと話があるんだけど」って2人きりになると、私が先に泣いちゃって、まともに話ができなさそうだったので、練習に参加する最後の日の朝の練習前に、ごく普通のトーンで、「今日、私、最後の練習なんだ、、、」って言いました。

なんか、そういう言い方もちょっとダメなのかなと思ったんですけど、練習が終わってから言うのも、ちょっと違うのかなと思って……。でも練習前に言うと、重くなっちゃうかなとか、とにかくいろいろ考えた結果、もう軽い感じで言おうと思って、そういう伝え方になったんですけど……。「え? 待って、なんで今言うの?」と言われて、「ごめん」って。結局泣いちゃいました。名奈も、私も(笑)。

練習後に話をして、「これからどうするの?」とか「チームにいなくなるの?」とか、すごくいろいろ聞かれたんですけど、私は(SAGA久光スプリングスとマネジメント契約を結び)拠点は変わらないので、「どっか行くとかはないから」と話したら、「よかったー」と言ってくれました。

──今後はどんな活動をされるんですか?

新鍋:今までずっとバレーボールをしてきて、バレーから学んだことがたくさんあるし、バレーをしていたから出会えた人というのは本当にたくさんいるし、バレーの面白いところはいっぱいあるので、そういう面白さや魅力を伝えられたらいいなと思っています。具体的にこれをする、というのはまだ決まっていないんですけど、子どもたちと一緒に楽しめたらいいなというイメージは持っています。

<了>

PROFILE
新鍋理沙(しんなべ・りさ)
1990年7月11日生まれ、鹿児島県出身。延岡学園高校から、2009年、久光製薬スプリングス(現:久光スプリングス)に入団。2010-11 Vリーグで最優秀新人賞を受賞したのを皮切りに、以降、5度のリーグ優勝に貢献し、13-14シーズンには最高殊勲選手賞(MVP)を獲得。サーブレシーブ賞は6度受賞した。2011年に日本代表に選ばれ、2012年ロンドン五輪での28年ぶりの銅メダル獲得に貢献。2017年以降も代表の主力として活躍したが、2020年6月に現役を引退。

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