インドでのヨーガ修行体験記【前編】アシュラムにたどり着くまで

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インドのヨーガの聖地でヨーガ修行を行ってきた。ヒマラヤ山脈とガンジス川のエネルギーを感じながらの4週間。ここでは、インドの印象や雰囲気、風景、そしてヨーガ修行をするアシュラムまでの道のりを語る。

 

ヨーガと私の出会い


私のヨーガ(ヨガと呼ばれることが多けれど、本来はヨーガ)との最初の出会いは、トランスパーソナル心理学の学びにおいてであった。トランスパーソナル心理学とは、世界中の古来の伝統的な精神についての叡智(えいち)と体系を、従来の心理学と統合させようというもの。そこで伝統的な精神修行の一つとしてのヨーガを知った。

強靱(きょうじん)な精神力で壮絶な孤独と寒さや飢えに耐え、ひたむきに精神の高みを目指す…。そんなヒマラヤの山奥に住む出家したヨギーたちの日々の修行の一つがヨーガなのだと思っていたから、修行としてのヨーガは私にとって遠いものだった。

一方で、この10年近く自分なりにヨーガを続けてきた。続けてはきたけれど、エクササイズ、あるいは健康法の枠を出ることは無かった。エクササイズとしてのヨーガは、もちろん素晴らしいのだけれど、この先に、もっと別の何かがあるはず、という思いを捨てられずにいた。
熟した果実が落ちるべきときにポッと落ちるように、そんな長年の思いが実を結び、ヒマラヤでヨーガをすることとなった。ヨーガの聖地と呼ばれているインド「リシケーシュ」にある、一つの「アシュラム(修行をする場所という意味)」で4週間修行に向かう。

 

日本からニューデリーに。インドの第一印象


一般的に浮かべがちなインドのイメージ

インドと言えば、エキゾチックな民族衣裳を着て頭にターバンを巻いた人でごった返し、しきりにこちらに向かって手を伸ばしてくる子どもたちの群れ、そんなイメージを持っている人も多いのではないだろうか。正直に言って、私もそんな光景を頭の片隅に持ちながらインドにやって来た。

けれど、実際に私を待ち受けていたのは、近代化された空港に、ロンドンでもよく見かけるコーヒーショップのCosta Coffeeだった。

ニューデリーのインディラ・ガンディー国際空港

出典:https://www.instagram.com/p/BRZ1MCDAX0o/
jo_langhorneさんのInstagramより引用。

飛行機で到着したニューデリーは、インド全体の中心から少し北に位置するインドの首都で、人口2000万人以上もいる国際都市だ。
そこから、1日目に宿泊予定の空港近くのホテルまでは2002年に開通したばかりの清潔な地下鉄が通っていて、5分ほどで簡単に移動できる。地下鉄には、社会人らしい人たちがスマホをいじりながら座っている。

ホテルでは感じの良いホテルスタッフに案内されて、入った部屋は日本のビジネスホテルと何ら変わりない。当然、スタッフは皆、流暢な英語を話す。

ホテル前で撮ったインドの夕日

到着1日目に見たインドの顔は、近代化、そして都市化されたインドの貌だった。そして、地下鉄の入り口でも男女に別れ、荷物チェックを受けたけれど、ホテルの入り口でも、セキュリティチェックがある。あちらこちらにミリタリーの制服を着た人がいて、何だか物騒な印象を受ける。
ひょっとすると、サムライを見に日本に来た外国人が、東京の高層ビル街をみて現実を知るように、私の脳内インドは存在しないのだろうか。

 

ニューデリーから、さらに北のデヘラードゥーンへ


ニューデリーの空港からは国内線に1時間半ほど乗り、デリーよりさらに北の都市であるDehradun(デヘラードゥーン)に向かう。空港からは、タクシーで1時間ほど離れた街にあるホテルへと移動する。ここでついに私の脳内インドと目の前のインドが一致する。

車とバイクと人力車、そして牛や犬たちが同じ道路を、車線や方向を無視して縦横無尽に進む。もちろん信号は無い。

インドの町並み

インドの牛たち

道端には、様々な人が歩いている。小さな少女が、これからどこかに売りに行くのであろうか、どこかで集めてきたゴミがたくさん詰まった袋を頭に担いで歩いている。険しい表情で哲学的な顔をした老人が、道端にただ座っている。
ものすごいカオスと喧騒(けんそう)だけれど、誰もそれを気に留める様子はない。様々な現実が、ただ混在しているのだ。豊かさも貧困も、原始的な生活もテクノロジーも、渾然一体となって、ガンジス川の流れのようにとうとうと流れていくのがインドの現実なのだ。

そんな光景を見ながらたどり着いたホテルは、近代的なチェーンのホテルだった。インド人の友人から、ヨーガ修行が始まる前に体調を崩さないようにと勧められた、お墨付きの清潔なホテルだ。
フロントでチェックインすると、ウェルカムドリンクまで出てきた。ホテルにはフィットネスクラブもあるし、綺麗な屋外プールまでついている。
ただ、色々な人から警告されていたので、そんなホテルでも歯磨きなどの際も含めて水道水は極力口に入れないようにする。

インドは奥深い。
ホテル外部で見た光景と、ホテル内部のギャップに困惑しながら、明日の長旅に備えて早々にベッドに入る。

 

アシュラムまでの道のり。ドライバーは子ども…?


早朝5時に、事前に友達になっていた同じ研修の参加者9名とホテルで待ち合わせて3台の車に乗り込み、アシュラムに向かう。この道のりが、今回のヨーガ修行の最初のイニシエーションであったような気がする。

後部座席にはシートベルトはあるのに、それを留める金具がない。ドライバーに尋ねても、「大丈夫」という。大丈夫じゃないのは、私の方だ。
ドライバーは、身長150cmくらいで、見た目年齢も12歳くらいのインド人男性。顔付きは12歳くらいなのに、服の第3ボタンくらいまではだけて、胸には金のネックレスが光る。そのアンバランスな感じが、色々と不安感を煽る。

英語を話さないので、何歳なのか聞けなかったが、免許を持っているのかも怪しい。ここから約200kmの道のりを、命を預ける相手なのだから信用しなければと思うが、不安を禁じ得ない。
子どものような風貌からは想像もつかないのだが、彼の運転はまるでモナコの街中を走るF1ドライバーのようなワイルドな運転で、険しい山道の登り降りをひたすら繰り返す。トンネルが一つも無いので、そびえ立つ山々を登っては降りなければならないのだ。

そびえ立つインドの山々

そんな山道を時速60キロぐらいのハイスピードで突っ走りながら、道に優雅に寝ている牛たちの群れも、道の真ん中をのんびり歩いている人も、右へ左へと避けなければならない。道は舗装されてはいるけれど、いたるところに穴が空いていて、3秒に1回は上にジャンプしたり、右へ左へと穴を避ける車体は揺れるため、身体中にアザができる。

またまたインドの牛たち

さらに、山道のカーブには日本のようにカーブミラーがないので、警笛をビービーと鳴らしながらカーブをギュンギュン曲がっていくのだけれど、カーブに入る際に、向こうからも車が来て重大な事故が起きるかもしれないというような配慮は一切感じられない。

 

険しい山道は続く


アシュラムまでの山道

インドで聞いた冗談で、「インドでは運転の上手なプライベートタクシーの運転手を知っていることが運命を決める」と言うのは、あながち嘘ではないと感じる。

あるいは、インドの人は生と死とを、それほど深刻な区別として感じていないのかもしれない。インドの哲学では、死は終わりではない。永遠の命が、古き衣を脱ぎ捨てたにすぎないと考える。その永遠のいのちは、生と死をひたすら繰り返していく。

でも、まだまだ精神修行の足りない私は、今はまだこの衣を脱ぎ捨てたくない。どうかアシュラムまで生きてたどり着けますように。

車中の乗客は悲鳴をあげっぱなしなのに、ドライバーの彼は気にも留めない様子で、楽しげにインドのポップミュージックを大音量で聴き続けている。車酔いしないため、座席近くの掴める物をギュッと握り締めながら、呼吸に意識を集中しリズミカルな呼吸を心がける。

途中で日本のようなサービスエリアなど期待できるはずもないが、道々には細々した日用品やちょっとしたお菓子などを売る、小さなお店が点在している。そういうお店で、数回トイレ休憩を兼ね立ち寄る。

インドのローカルなトイレ

インドのローカルなトイレは、なんと日本式のしゃがみ込むタイプのトイレだった。ただし、電気も無いし、水洗ではなく、バケツに水を入れて流さないとならない。

10秒に1回は心臓が止まるような場面をひたすら9時間繰り返し、ようやくアシュラムに到着する。

 

アシュラムに到着。目の前に広がるのは…


そこには、別世界の静寂が広がっていた。ほとんど常に鳴らされている警笛と、車の中に大音量でかかっていた賑やかなインドのポップミュージックを9時間聞かされた後の、この静けさに心から感謝する。

アシュラムのすぐ目の前には、標高4千mから5千mを越えるヒマラヤ山脈から流れてくる、清く冷たいガンジス川の支流がとうとうと流れている。

アシュラム前のガンジス川の支流。力強い

川の流れの音は、日本の清流のような楚々とした優しい音ではなく、インド的な力強い音だ。その川の豊かな流れを眺めていると、私の脳内に鳴り響いていた危険を知らせるアラーム音が、ようやく静まっていくのを感じる。それと同時に、この場のバイブレーションに少しずつ心身が共鳴していく。

アシュラムでの食事はサトヴィックなもの

アシュラムの入り口

到着してすぐに、参加者にはベジタリアンランチが提供された。食堂でももちろん、サイレンスを要求されるが、それもとても心地よい。食堂といっても、床の上に布がひかれているだけで、テーブルもイスもない。布の上にあぐらをかいて座って、白いライスにダルのランチを頂く。

アシュラムの食堂

ダルは、ヒンディー語で豆という意味で、レンズ豆を香辛料と共に煮込んだスープカレーのような料理だ。1回に提供される量は、とても少ないのだけれど、何度もお代わりを鍋に入れて周って来てくれる。最初から大量にあって食事を残してしまうことがないようなシステムなのだ。

ヨーガの哲学では、すべてのモノには
・サットヴァ(純粋・調和)
・ラジャス(激情)
・タマス(惰性)
という3つの性質があるという。

当然、食べ物にもこうした性質があり、アシュラムでの食事は、サトヴィックなものとなる。つまりあまりスパイシーではなく、消化しやすい、身体に優しいベジタリアンの食事が基本だ。
食事が済むと、様々な外部刺激でいら立っていた体内が心地良くなだめられ、リラックスしていくのを感じる。

アシュラムはとてもシンプル。必要なモノがあるだけ

その後、チェックインして必要書類にサインなどし、部屋に通される。部屋は8人部屋と2人部屋の2種類があるが、部屋の作りはとてもシンプルで、ベッド、机、棚、シャワーがあるだけだ。

ここでは、必要なモノがあるだけだ。もちろんテレビなど無いし、私はWi-Fiも使えないので1か月携帯もパソコンも使わない生活となる。

ヨーガを行う時には、心の静寂が必要とされる。その心の静寂を得るためには二ヤマ(自己浄化)の実行が重要だ。この二ヤマの中には、サントシャと言われる「足るを知る」ことがある。
このアシュラムの生活を見ると、「足るを知っている」からそれが実行できるのではなく、必要な食事を適量だけ頂き、必要なモノだけがシンプルにある、そんな余計な刺激のない環境の中にいることで「足るを知る」ようになるのかもしれないと感じる。

 

この記事を書いた人:

五味佐和子

臨床心理士。カウンセリングルームHelix Centre 代表。https://helix-centre.com 心療内科、精神科での長年の臨床経験を経て、企業でのEAP(従業員支援プログラム)と教育研修(ストレスマネジメント、コミュニケーション等)の企画と実施、NPOでの就労支援など様々な場面で臨床経験を積んできました。