元少年兵、宗教抗争乗り越え親友に 平和訴え共に活動、インドネシア・マルク諸島

 ある日突然、平和に暮らしていた隣人同士が殺し合いを始め、遊びたい盛りの子どもらが兵士として戦闘に巻き込まれる-。こんな恐ろしい事態がかつて、インドネシア東部の美しい海に囲まれた島々で起きていた。

 マルク宗教抗争。インドネシア東部マルク諸島で1999年から約5年間、イスラム教徒とキリスト教徒が互いを殺し合い、5千人以上が死亡、50万人以上の避難民が出たとされる。戦闘には大勢の子どもが動員されていた。この中の敵だった両教徒の少年兵2人が後に和解して親友となり、現在は共存と平和の大切さを訴える活動を共にしている。(共同通信=岡田健太郎)

 

▽選択肢なく

 殺害されたイスラム教徒の遺体がかつて並べられた場所で、少年兵だった当時のことを語ったキリスト教徒のロナルド・レガンさん=2月、インドネシア東部アンボン(共同)

 

 「殺して、殺して、殺しまくった」―。大航海時代に香料貿易の拠点として栄え、青い海を見下ろすマルク州の州都アンボン。今年2月、少年兵だった当時のことを語ったキリスト教徒のロナルド・レガンさん(31)の目つきが鋭くなった。

 99年1月。アンボンでのささいなけんかをきっかけに起きた宗教抗争は、レガンさんが住んでいた北マルク州テルナテにまで波及。隣人らが山刀で殺し合うのを目にし、ショックを受けた。当時9歳だった。

 

 父親は軍人で、厳しく育てられた。混乱の中で家族と離れ離れになった長男のレガンさんは、先に避難していた母と姉、弟の後を追って、テルナテを脱出。しかし、会えると思っていたスラウェシ島北部の主要都市マナドで再会できず、宗教抗争の最も激しかったアンボンにフェリーで向かった。

 

 フェリーがアンボンに着くと、キリスト教徒の民兵が入ってきた。「イスラム教徒はいるか」。恐怖で誰も手を挙げられなかった。殺されると分かっていたからだ。アンボンでも母親らに会えなかったレガンさんは、キリスト教徒民兵の少年兵部隊に入った。「強制ではなかった。でも他に選択肢がなかった」と語る。

 

▽大人は「後方支援」

 

 所属したのは12人の少年兵で編成される「トカゲ部隊」と20~30人から成る「ブヨ部隊」。担ったのは、最前線での偵察や戦闘だ。大人の部隊は「後方支援」として、常に後ろで待機していた。

アンボンの町中で、宗教抗争当時のことを語るロナルド・レガンさん=2月(共同)

 レガンさんは当時、抗争を「聖戦」だと思っていたという。聖戦だから、戦闘に行く前は教会で礼拝さえしていた。当時、何人殺したか覚えていない。米ハリウッドのアクション映画「ランボー」を見て戦闘のやり方を学び、他の少年兵と殺害人数を競い合った。「狂っていた」と振り返る。

 

▽和解と対話

 

更生のきっかけとなった牧師(中央)と写真に納まるロナルド・レガンさん(左)=2006年(本人提供・共同)

 抗争は2002年に和平合意したが、その後も衝突は続いた。抗争ですさんでいたレガンさんの心は、親身になってくれる牧師らの支援で更生していった。07年、イスラム教徒とキリスト教徒の元少年兵20人ずつを集めた和解促進プログラムで、イスラム教徒のイスカンダル・スラマットさん(35)と出会った。スラマットさんもイスラム教徒の少年兵として、14歳で戦闘に参加していた。義理の兄が抗争で足に爆弾で重傷を負い、復讐を誓ったのがきっかけだった。

イスラム教徒の元少年兵イスカンダル・スラマットさん。2018年に結婚、女の子が生まれ、嬉しそうに携帯電話に保存された写真を見せてくれた=2月、アンボン(共同)

 1カ月に及ぶプログラムで、元少年兵らは寝食を共にした。4人部屋の2段ベッドの上と下になったのが、レガンさんとスラマットさんだった。最初は警戒感が解けず、互いにいつ攻撃されるか身構えていたが、抱えている怒りはどこから来るのか、憎しみは何なのかを紙に書き出した後、皆で燃やし、お互いに泣いて、謝った。そして対話が始まった。打ち解けていったのは、「思っていることをすべて吐き出したから」(スラマットさん)だ。

 

笑顔で語り合う、少年兵だったイスラム教徒のイスカンダル・スラマットさん(左)とキリスト教徒のロナルド・レガンさん=2月、アンボン(共同)

 2人は平和の大切さを訴える活動を共にするようになり、18年には国内各地で講演、テレビ番組にも出演した。スラマットさんは「特に大事なのは若者への教育だ。若者は感情的になりやすく、扇動者に利用されやすい」と自身の経験を踏まえ、強調する。

 

元少年兵のレガンさんとスラマットさんが祈る様子が描かれた壁画の前に立つレガンさん(右奥)。2人は和解の象徴となっている=2月、アンボン(共同)

▽償い続ける

 レガンさんは、かつての自分について、こう振り返る。「当時は外の世界を知らず、アンボンだけでなく、世界中が同じように混沌としていると思っていた。親の愛情を受けられるはずの子ども時代は失われてしまった。もし時間をさかのぼれるなら、(抗争前の時代に)戻りたい」。

 

 自分が命を奪った人の顔が今も夢に出てくるといい、犯した罪の重さに苦しむ。「平和を訴えることで償い続けたい。死んでも償いきれないだろうけれど」と覚悟を語る。自分のような経験をする子どもが二度と生まれないよう、地元記者に協力してもらい、自伝を書きたいと考えている。

 

◎マルク宗教抗争 

 インドネシア全体ではイスラム教徒が9割近くを占めるが、マルク諸島ではキリスト教徒が約4割と他地域に比べ割合が高い。元々は共存していたが、スハルト独裁政権崩壊後の1999年1月、宗教抗争が勃発。対立をあおった扇動者の存在が指摘され、国軍や警察も両教徒に分断されて治安を維持できなかった上、ジャワ島や中東などからイスラム教徒の応援部隊が参戦。抗争が長期化した。

かつての宗教抗争で廃虚になったが、復興したインドネシア東部アンボン。夕暮れ時、女子学生らが帰宅途中だった=2月(共同)

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