あのA24も制作を躊躇した 怪死ダークコメディ!『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』© 2018 A24 Distribution,LLC. All rights reserved.

A24が制作をためらったという「問題作」

もはや映画好きなら知らぬ者のない存在にまで成長した配給・制作会社「A24」。日本公開初日にTwitterのトレンド入りを果たした『ミッドサマー』(2019年)など、トガッた作品を続々と世に放ち、ますます影響力を強めている。しかし、そんな彼らが「躊躇した」とウワサの作品があった。それが、2020年8月7日(金)に日本公開を迎える『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』だ。

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』© 2018 A24 Distribution,LLC. All rights reserved.

とある田舎町で、バンドを結成して気ままに暮らすジーク、アール、ディックの3人組。しかしある晩、ディックが“あること”が原因で死亡してしまう。死の真相を知るジークとアールは、なぜか証拠隠滅を図ろうとするが、警察の捜査の手が迫ってきて……。

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』© 2018 A24 Distribution,LLC. All rights reserved.

コーエン兄弟の『ファーゴ』(1996年)を彷彿とさせる雰囲気が漂う本作は、“便利死体”でサバイバルを図る男を描いた笑撃作『スイス・アーミー・マン』(2016年、こちらも配給はA24)で鮮烈な長編デビューを飾った監督コンビ“ダニエルズ”のダニエル・シャイナート。本作ではディック役で出演もしている。

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』という邦題通り、この作品は“死の真相”を暴いていくコメディタッチのサスペンスだ。構造的には、犯人が初めからわかっている「古畑任三郎」シリーズや、“ネタ元”となった「刑事コロンボ」(1967~2003年)に近く、真相を知っているジークとアールが事件の真相を明るみに出すまいと奮闘すればするほどに状況が悪化し、家族や警察に追い詰められていくという不条理劇の要素も持つ。

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』© 2018 A24 Distribution,LLC. All rights reserved.

俗に言う「ネタバレ厳禁」な物語のため、本稿でもこれ以上に踏み込んだ記述はなるべく避けたいのだが、差支えない範囲で魅力や特色をご紹介していこう。

観客を味方につける秀逸な「共感のワナ」

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』の面白さは、どういう部分にあるのか? それはやはり、予測不能の「死の真相」とコント的な「転落劇」だ。ある段階でディックの死の真相が明かされてからは、それまでの物語がまるで違ったものに見えてくるだろう。同時に、海外版や日本版のポスターといった宣材物、タイトルや劇中にちりばめられた“伏線”が浮かび上がってくるはず。センセーショナルな作品ではあれど、一発芸的なものではなく、細かい部分にまで目が行き届いているのだ。

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』© 2018 A24 Distribution,LLC. All rights reserved.

A24畑でこうした精緻な物語設計を行う人物といえば『へレディタリー/継承』(2018年)『ミッドサマー』のアリ・アスター監督が思い浮かぶ。実際、シャイナート監督はアスター監督のファンとのことで、「『ミッドサマー』では奇妙な展開に驚かされ、永遠に笑い続けた」とコメントを寄せている。

監督自身、ストーリーテラーとして「奇妙な題材でも、観客が感情移入できるように“共感のポイント”を仕込む」ことを信条としているそうで、これは先に挙げた「転落劇」の部分にみることができる。身も蓋もない言い方をしてしまえば、ジークとアールの証拠隠滅や虚偽の証言、アリバイ工作は“ザル”すぎて笑ってしまうのだが、それが同時に等身大の親しみやすさを醸し出してもいるのだ。

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』© 2018 A24 Distribution,LLC. All rights reserved.

例えば、ジークとアールはディックの血が付いた車を処分しようとして湖に沈めようとするが、思っていたより浅く、警察にあっさり見つかってしまう。また、妻にウソをついてごまかそうとするも、娘の発言で一気に窮地に陥るなど、「もっとうまくやって!」と観る者にツッコませつつ、いつの間にか応援してしまうような塩梅にデザインされている。

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』© 2018 A24 Distribution,LLC. All rights reserved.

カルト的な人気を誇るスプラッターコメディ『タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら』(2010年)は、不運に不運が重なり事態が悪化していく姿をコミカルに描いていたが、本作もまた、日常劇というくくりは崩さずに、ドツボにハマっていく様子をテンポよく魅せていく。クスクス笑いつつ、ふと「自分が同じ立場だったら、確かにスマートには振舞えなさそう」と思ってしまったが最後、シャイナート監督が仕掛けた「共感のワナ」にまんまとかかっているのだ。

ただの不条理コメディで終わらない「深いテーマ性」

このようにストーリー展開のうまさやトボけた風合いの妙味で観客を味方につける『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』だが、よくよく見ていくと、ただのコメディには終わらない“深み”も感じ取られるのが心憎い。ネタバレを避けるため多くは語らないが、「愛の描写」が実に秀逸なのだ。

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』© 2018 A24 Distribution,LLC. All rights reserved.

序盤から、警察官の1人がレズビアンであることが示され、LGBTQの描写がしっかりと入れられているが、これは昨今の映画制作においてはもはやスタンダードなものになりつつある。しかし本作においては、もう1つ「多様性を描いた映画」という“宣言”としても見ることができるのだ。

本作は、従来の私たちの「常識」を超えてくる映画であり、それゆえにジークとアールも斯様な珍行動に出ていくわけだが、そこには「周囲の無理解」という問題が内包されている。多様性を描ける時代になっても、まだまだ秘匿されるべきことは多い――。映画を観た後、そんなメッセージが頭をよぎるのではないだろうか。基本的にはコメディだが、そんないい意味でのざらつきが舌に残るのも、確かだ。

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』© 2018 A24 Distribution,LLC. All rights reserved.

多くのサプライズに満ちた『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』。受け入れられるか、そうでないかは人によって異なるかもしれないが、題材的にもエポック・メイキングなものであることは明白だ。この作品が後々、映画業界や映画史の中でどんな扱いをなされていくのか、注視したい。

文:SYO

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』は2020年8月7日(金)より公開

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