【特別企画】「でも、ブラジルは良い国です!!!」=サンパウロ難民移民座談会=大浦智子=<第2回>

©Nikkey Shimbun

難民全員がコロナ禍で大打撃

カルロスさん

カルロスさん

――カルロスさんがベネスエラからブラジルに来て、難民申請するまでのことを教えてください。
【カルロス】ベネズエラのカラカス出身です。2016年にバスでベネズエラ国境を通過してマナウス(アマゾナス州)へ。そこからフォルタレーザ(セアラー州)に移り、政治的迫害を理由に難民申請を行いました。フォルタレーザで3カ月を過ごし、そこから飛行機でサンパウロに移りました。
 ベネズエラではジャーナリストとして行政機関に勤めていました。テレビ番組の制作やイベント企画のマネージャーを務め、会計責任者も務めていました。ある時、仕事中に通常の見積もりをはるかに上回る額に書き換えて署名するよう指示を受け、容易に汚職が想像できたことから拒否しました。それで、自分や家族にも身の危険があると察知し、出国を決意しました。
――現在のお仕事は? サンパウロに来てから生活面で困ったことや、それをどの様に克服してきましたか?

『Nossa Janela』のベネズエラ料理

『Nossa Janela』のベネズエラ料理

【カルロス】パートナーのベネズエラ人女性とベネズエラ料理店『Nossa Janela』(https://www.facebook.com/nossajanelasp/)を経営し、ケータリングサービスなどを行っています。文化施設等で料理教室を開催したこともあります。
 ブラジルに来た当初は過去のキャリアを活かした仕事を探しましたが、良い機会に恵まれませんでした。サンパウロ市に来る前に短期間ジュンジャイ市で過ごしましたが、人々からの偏見があり、物事は上手くいきませんでした。小さい町のせいか人々は難民のことをあまり知りませんでした。
 その後サンパウロ市に来て、ミッソン・ダ・パス教会に住み、仕事を探しました。良い仕事を見つけるのは難しく、追い打ちをかけられるように「難民や移民がブラジル人から仕事を取りに来た」と言われて衝撃的でした。
 私はこの神話を払いのけるため、自分のビジネスを立ち上げることにしました。簡単ではありませんでしたが、暗い穴と感情的な混乱から抜け出すには、自分自身が立ち上がるしかありません。
――コロナウイルスによる外出自粛が始まってから、難民移民の方たちは仕事面でどのような変化が生じ、日常生活にどのような困難が生じましたか?

アブドゥルさん

アブドゥルさん

【アブドゥル】実際にはパンデミックが発生する前から生存競争の中にあり、生き残るのは大変でした。ブラジルの難民や移民の大半はカルロス同様、私も含めて自営業で働き、会社を持っています。ブラジル市場では多くの搾取が行われているためです。
 パンデミックの前から、難民や移民は中小企業を立ち上げていました。労働手帳に登録せずに働き、給与について調査され、仕事と引き換えに住居と食糧のみを受け取っている人も一般的です。
 パンデミックの間、状況は2度悪化しました。ほとんどが自営業である難民と移民にとって、ほぼ全ての人が仕事への影響を受けました。私たちはもはや自分たちのアイデアで事業を展開することができません。私の様に社会プロジェクト、イベント、会議や講演活動に依存する難民移民の場合、パンデミックでは実現が困難です。
――難民や移民はパンデミックの影響を直に受ける業種での事業者が多いと。

 

『Nossa Janela』のベネズエラ料理テケーニョス

『Nossa Janela』のベネズエラ料理テケーニョス

【アブドゥル】はい。個人事業主や非正規雇用労働者も多く、知人には飲食業などに携わる人も珍しくありません。今日のブラジル市場は、通りで電子製品や衣服を販売する人にお金を費やすことはありません。
 人々は怖がっています。保健機関からのガイドラインに沿って様々な活動を自粛する必要はありますが、難民、移民、ブラジル人にとっても、パンデミックはとても難しい状況にあります。
 難民コミュニティーは脆弱です。だから今、私は仲間と連携してまずは生きるための食料を必要としている人々を助ける活動に取り組んでいます。(続く―)