弘兼憲史が『獺祭』の挑戦で伝えたかったこと ─日本酒業界に革新を起こした旭酒造

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7月21日、『「獺祭」の挑戦』と銘打った1冊の漫画が発売された。執筆したのは「課長 島耕作」で知られる弘兼憲史さん。弘兼さんが旭酒造の「獺祭 (だっさい)」と現会長の桜井博志さんの物語を漫画化しようと思った理由、そして漫画を通して伝えたい思いについて語ってもらった。

食通をうならせる旭酒造の地酒、純米大吟醸「獺祭 (だっさい)」。山口県岩国市から生まれたこの日本酒は、いまやパリ・ニューヨークにまで羽ばたき、世界的なブランドとして成長を続けている。だが獺祭を作り上げるまでには、現会長の桜井博志さんが起こした苦難の道のりと数々の革新があった。

この桜井博志さんのストーリーに感銘し、『「獺祭」の挑戦』(サンマーク出版)として漫画化したのが、同じ山口県岩国市出身の漫画家、弘兼憲史さんだ。弘兼さんはなぜ旭酒造と桜井博志さん、そして獺祭にまつわる物語を漫画化したのだろうか。

「「獺祭」の物語を広く知ってもらう必要がある」

弘兼憲史さんは、漫画化の経緯として、まず「獺祭を作る旭酒造が私の郷里である山口県岩国市にあること」そして「代表取締役社長である桜井一宏さんとは以前からの知り合いだったこと」を挙げ、その直接のきっかけについて語る。

「私が獺祭を初めて飲んだころは、まだ知名度も低くいまほど洗練されてもなかったんですが、次第に東京で有名になってきて、それがジョエル・ロブション氏にも認められ、世界へと進出していきました。これまで日本酒は日本という狭い範囲でのみ売られていましたが、獺祭が世界へと羽ばたいていくのであれば、この日本酒「獺祭」の物語を広く知ってもらう必要があるのではないかと思い、執筆を決めたのです」(弘兼さん)。

日本酒はもともと“地元で作って地元で飲む”という酒だったと弘兼氏は話す。旭酒造ももともとは周東町の300~400戸を商圏としていたが、市町村合併で周東町が岩国市に併合されることになり、岩国市というより広い市場での商売を余儀なくされた。

だが岩国市にはすでに「五橋」「金冠黒松」「雁木」「金雀」という銘柄があり、これらを製造する酒造が市場を独占していたため、新たに旭酒造が入り込む余地がなかった。「岩国市の市場に入り込めないならば、東京に出よう」……当時の桜井博志さんがこの決断をしたことで、旭酒造の名は日本中に広がっていくことになる。

「一部の狭い範囲で飲まれていたお酒が東京に来て、それが世界へ広がっていくというのは本当にすごいことだなと思いました。海外では30年位前から寿司ブームになっていて、向こうでは寿司にビールやウォッカ、ウイスキー、ワインを合わせているのですが、やはりお刺身とお酢と醤油に合うのは日本酒なんですよね。寿司とともに日本酒を伸ばしていきたいという思いもあります」(弘兼さん)。

「桜井さんの生き方はそのままエンタメになる」

このような日本酒への思いから獺祭の漫画化を考え、取材を進めた弘兼さん。だが取材を進めるにつれ、旭酒造の現会長である桜井博志さんの人柄と魅力、経営手腕に次第に強く惹かれていったという。

「桜井さんは横紙破りというか、日本酒業界のルールと戦いながらやってきた人なんです。いままでの常識では考えられないことをどんどんやって、それがことごとく成功しています。詳しくは漫画で描いていますが、その例として杜氏制度の廃止や、問屋を通さない酒屋への卸売、四季醸造といったさまざまな改革があります」(弘兼さん)。

杜氏は出稼ぎ労働者であり、蔵人を連れて蔵元を訪れ、仕事を終えたら帰っていく存在だという。決して片手間仕事をしているわけではないが、少なくとも愛社精神はなく、伝統的な手法を繰り返すことが仕事であり、進歩していこうと考える人は少なかったそうだ。

「現在では大学に醸造科があり、そこで学んだ2代目が家業である蔵元で自分が杜氏となってお酒を造るという例が増えています。当然、出稼ぎにきた杜氏と異なり、自分の会社のお酒を造るとなると気合が違います。また問屋を通さずに酒屋に直接卸すという蔵元も増えています。さらに、これまで夏にだけ作っていたお酒を、工場自体を冷やして冬場を作ることで通年で生産できるようにし、生産力を上げるということをしています。このような桜井さん方式は合理的でコストも下がりますし、今ではほかの酒蔵でもやっています」(弘兼さん)。

弘兼さんは、桜井さんを「改革者」と評し、古いしがらみやしきたり、商習慣を変えていったというところに、漫画にする面白さがあったと話す。

「日本酒のラベルもそうですよね。昔のラベルはコテコテで、なんとなく「日本酒のラベルはこうあらねばならない」というイメージがあったじゃないですか。そんな中で、白い紙に墨痕鮮やかに『獺祭』ですから、実に画期的でした。最近は逆にこういうラベルが主流になりつつありますよね。桜井さんが初めてではないかもしれませんが、獺祭のヒットによって日本酒のラベルに対する概念も変わったと思います」(弘兼さん)。

弘兼さんは、獺祭を初めて飲んだ時を思い出し、味わいを次のように表現する。

「初めて飲んだのは西麻布の交差点近くにあった居酒屋かな。山口県のお酒なんですと紹介されて、評判を聞いていたので飲んでみたら、これはうまいじゃないかと。若い人が日本酒をあまり飲まなかったのには独特のクセや香りにあったと思うのですが、獺祭はスーッっと入ってきました。獺祭のようにお米を磨いていくと雑味がなくなっていき、淡麗でスカーンと入る飲み口になります。これは世界中で受けるんですよね」(弘兼さん)。

海外では、日本酒をワインと同じように扱うため、グラスに注がれると必ずその匂いがかがれるという。獺祭はそんな時でも日本酒のクセのある香りではなく、フルーティな香りで楽しませてくれる、これが広い層に支持される理由ではないかと弘兼氏は述べる。ただし、現状では決して香りが多いお酒ではないので、旭酒造では香りを増やす研究を続けているそうだ。

「普段、漫画を書くときは取材50%・エンタメ50%で書いているんですが、今回は取材80%・エンタメ20%ぐらいです。事実を書かなくちゃいけないので、言ってない言葉を書いて確認を取ったりはしてるんだけれども、やったことは事実なので。それに脚色しなくとも、桜井さんの生き方はそのままエンタメになるんですよね。日本酒業界の古い体制をすべて壊しちゃった」(弘兼さん)。

「改革をやる人は最初は叩かれる」

社長として獺祭を広め、現在は会長となっている桜井博志さんの取材を続けていた弘兼さんは、その印象を次のように語る。

「スリムでオシャレ、明るく人懐っこい人ですよね。それに僕らの前では見せないけど、喧嘩するときは堂々とするという気合の入り方があります。慎重には行かないタイプですよね、大胆に行きます。立ち止まることを知らなくて、現状に満足することなく、好調でも次の手を考えている。漫画の主人公には最適な人物です。一方で現社長である息子の桜井一宏さんはどちらかという慎重な方でね、博志さんが暴走するのを一宏さんが後ろから抑える方に回ってるんじゃないですかね」(弘兼さん)。

現在、旭酒造が行っている大きなプロジェクトに「ニューヨーク酒蔵プロジェクト」がある。残念ながら新型コロナウイルス流行の影響を受け、計画は1年延期されているが、アメリカで酒米「山田錦」を栽培し、アメリカ産と日本産の両方を使って新たなブランド「Dassai Blue」を作るという試みもまた革新的だ。

「蔵元にしろお寿司屋さんにしろ、僕は改革をしていくお店の方が好きなんですよ。カリフォルニアロールなんてすごい革新だと思うんです。伝統の味を守るということも大切ですけれども、いまは伝統+改革が求められると思うんです。明治、大正、昭和、平成を経て、国民の舌も変わっているんですから」(弘兼さん)。

杜氏制度の廃止と四季醸造によって、旭酒造の社員は並の杜氏をしのぐ醸造の経験を得ている。そしてそこから得られる情報はすべてデータ化され、クラウドに記録されている。一方で洗米はすべて手作業であり、社員が経験してきたノウハウによって行われている。センサーを用いるなどさまざまな合理化が行われているゆえに、獺祭は工場で作られたお酒、という印象を持っている方もいる。だが実際は味の追求のために手段を選んでいないだけであり、人の手も一般的な酒造りの倍以上かけられている。だからこそ、獺祭は日々おいしくなっていくのだ。

「桜井さんも日本酒業界のいろんな人に叩かれたんです。改革をやる人は最初は叩かれるんですよ。京都なんかはすごく伝統にうるさくて、和食で言うと、京都吉兆 嵐山本店の徳岡邦夫料理長、菊乃井の村田吉弘料理長、下鴨茶寮の小山薫堂オーナーなんかも最初は叩かれましたよね。出る杭は必ず叩かれるんです。でもおいしければ人は来るんです。獺祭も同じです。」(弘兼さん)。

「日本酒を世界へ広めるため海外での出版も視野に」

弘兼さんが『「獺祭」の挑戦』を通じて伝えたい思いは「獺祭は工場で作っているお酒ではなく、本気で作っているお酒である」、そして「先頭に立って日本酒を世界へ広めてもらいたい」という2点にあった。世界に獺祭の魅力を広めるため、この旭酒造と桜井さんの物語を翻訳して、海外でも出版したいと弘兼さんは考えているという。

さまざまな革新を起こしてきた旭酒造の桜井博志さん、そして世界中から高い評価を受ける獺祭の物語。この日本酒業界における“挑戦”は、日本酒ファンのみならず、ビジネスパーソンとしても大いに感銘を受ける内容ではないだろうか。伝統に革新を加えたそのストーリーを収めた『「獺祭」の挑戦』は一読の価値ありだ。