8月6日は16回目の命日:リック・ジェームスの知られざる10の事実

1. リック・ジェームスは、M.C.ハマーにサンプリングされ何百万ドルも稼ぐことになるあのヒット曲「Super Freak」を発表することを躊躇していた。当時の彼にとっては安っぽいサウンドのように思えたのである。 

2. 彼はパーティを愛した。1981年のある晩、家に帰ってきた彼は”ヤりたい”気分だったが、ガールフレンドを相手にするには酔っ払い過ぎていた。そこで代わりにピアノであの甘い名曲を作り上げた。全米R&BチャートでNo.1に輝いた「Give It To Me Baby」である。 

3. 1969年のある晩、彼はカリフォルニアのビバリー・クレストにあったシャロン・テートの自宅で開催されていたパーティに招待されたいたが行かなかった。その前日に酔い潰れ、気分が乗らなかったためだ。パーティー当日、連続殺人鬼チャールズ・マンソンの“ファミリー”が姿を現し、シャロン・テートと4人のゲストを殺害した。

4. ディスコ全盛期に名を馳せ、多くのクラブで演奏していたリック・ジェームスだったが、彼自身はディスコには興味がなく、ファンクとソウル一筋だった。しかしリック・ジェームスはファンクとソウルの黄金時代に1960年代や1970年代のモータウン作品にその名を刻んでおらず、1980年代に入ってから躍進を遂げたただ一人のモータウン・スターだ。彼は、フォンクのみで大きな成功を収めた。

5. 大空に燦然と輝く新たなモータウンのスターとして、リック・ジェームスは1970年代後半にダイアナ・ロスのプロデュースを担った。ただ、アルバム制作途中で彼が手掛けるのは全編の半分のみだと知った彼は「ふざけるな。俺はもうやめる!」と言い放った。それでも彼がダイアナ・ロスのために手掛けた1曲が、彼のソングライターとしての新たなキャリアの礎となった。その曲、1979年にリリースされたスーパー・ファンキーな「I’m A Sucker For Your Love」はティーナ・マリーにとって初めてのヒット曲となり、彼女のアルバム『Wild And Peaceful』のオープニングを飾った。

6. 芸術家サルバドール・ダリは生前リック・ジェームスの似顔絵をディナー・テーブルに置かれていた紙ナプキンにスケッチした。しかしその後、リック・ジェームスはそのスケッチをポケットに入れていたことを忘れ、プールに飛び込んだ。さようなら、ダリのスケッチ。

7. 映画『エクソシスト』の娘役で知られる女優リンダ・ブレアはリック・ジェームスのことを“世界一セクシーな男”と呼んだ。そのインタビューを読んだリック・ジェームスは彼女に連絡をとり、それを証明しようとした。後に彼はこう語っていた「彼女は僕をゾッとさせたよ」。そうしてそのエピソードを「Cold Blooded」の中に書いている。

8. リック・ジェームスは、彼の友人であるグレッグ・リーヴスをニール・ヤングに紹介。その直後に彼がクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのベーシストとして雇われたことを知ってショックを受けていた。自身も凄腕のベースプレイヤーだった彼は、そこに参加したかったののだ。

9. リック・ジェームスはプリンスをひどく嫌っていた。彼は、プリンスがリックの初の大規模なツアーでサポートを務めた後に、彼のパフォーマンスを盗んだと思っていた。

10. M.C.ハマーが「U Can’t Touch This」で「Super Freak」を無断でサンプリングしたことに対して、リック・ジェームスは共作者のアロンゾ・ミラーとともに、著作権侵害で訴訟を起こし勝訴した。1990年のグラミー賞でその3人が揃って最優秀R&Bソングを受賞したのは、滑稽でしかなかった。リックは、事前に申し入れがあったとしたら、絶対に許諾しなかったと主張していた。 

Written by Ian McCann

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