サーギル博士と歩く東大キャンパス⑦ オンライン授業【後編】

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我々が日々当たり前のように身を置いている「場」も、そこにあるモノの特性やそれが持つ歴史性などに注目すると、さまざまな意味を持って我々の前に立ち現れてくる。この連載企画では、哲学や歴史学、人類学など幅広い人文学的知見を用いて「場」を解釈する文化地理学者ジェームズ・サーギル特任准教授(東大教養学部)と共に、毎月東大内のさまざまな「場」について考えていこうと思う。第7回後編では、引き続きオンライン授業を考察する。

(取材・円光門)

【前編はこちら】

サーギル博士と歩く東大キャンパス⑦ オンライン授業【前編】

ジェームズ・サーギル特任准教授(東京大学教養学部) 14年英ロンドン大学大学院博士課程修了。Ph.D.(文化地理学)。ロンドン芸術大学助教授などを経て、17年より現職。

オンライン授業は「牢獄」か?

前編ではオンライン授業と対面の授業との共通点を探ったが、今回は両者の差異に起因するオンライン授業の負の側面を取り上げる。そして、どのような発想の転換を通じてそうした負の側面を乗り越えることができるのかを考えてみたい。その際、考察対象を身体性の喪失と移動の制限という2点に絞ろうと思う。

第一に、オンライン授業で身体的な交流が少ないことは、対面の授業との差異を考える上で真っ先に思い浮かばれるものだろう。これは、オンライン授業において非言語的コミュニケーションが成立しづらいことを含意する。というのも、相づちや表情、体の向きといった言語で明示的に表されることのない相手へのシグナルは、多くの場合身体から発生する。従って身体性が喪失すれば、コミュニケーションも円滑に進まなくなる可能性がある。

これに対してサーギル特任准教授は次のように応答する。「コミュニケーションが不十分になるという問題は確かに否定し難いですが、身体性が喪失したからこそ生じた肯定的側面もあるのではないでしょうか」。サーギル特任准教授いわく、そうした側面とは「場の民主化」だ。

「我々は普段、知らぬ間に権力関係を身体性の内に見いだしてしまっています」とサーギル特任准教授は語る。身体性がある、すなわち身体が空間に存在するとは、身体が位置を持つということであるが、位置関係とは多くの場合権力関係の転写である。「会議でリーダーがテーブルの短辺の方に座ること、授業で教員が黒板の前に立つことなどは、現実の権力関係を表象、維持するものです」。だがオンライン授業では各参加者につき長方形の枠があるのみで、それは教員だろうが学生だろうが同じである。さらにカメラをオフにすると、存在するのは個々人の声と考えだけだ。「このようにコミュニケーションの経験が平準化されることで、場が民主的になるといえるでしょう」

しかし民主政はそれ自体排除の論理と結び付いているという点に、注意が必要だ。西洋政治哲学の父プラトンの著作『プロタゴラス』では、神があらゆる人間に与えた正義に関する徳を訓練を通じて開花させれば、市民が自由な討論を通じて意思決定する民主政が成立するのだという議論が紹介される。だがその際、徳を十分に開花させられない者は民主政体に害を与えるとして死刑に処すべきだと論じられる。

このように、あらゆる人に平等な基盤を与える民主政は、その基盤に乗ることのできない人を排除してしまうという逆説的な働きを持つ。オンライン授業も同様であって、「声」と「考え」だけの平等な場だからこそ、例えば声を出すことのできない人は排除されることになる。だがこの問題は、オンライン授業特有の問題というよりは、民主主義や平等主義に内在する問題である。

これまで我々は身体性の喪失が権力関係を弱める点に注目してきた。だが他面で、まさにそれを可能とさせているオンラインシステムが、権力関係を強化する方向で働き得ることも忘れてはならない。

現在多くの大学が授業で採用しているウェブ会議システム「Zoom」では、ミーティングルームのホスト(大抵の場合は教員)に多くの権限が集中する。ホストは参加者のスピーカーやカメラをオフにする権限、参加者を別室へと移動させる権限などを持つが、このような教員と学生間の権力の非対称性は、対面の授業で見られるものではない。というのも、どれほど権力を持つ教員であっても学生を無理やり追い出したり、声を出させなくしたりすることは、暴力に頼る以外に方法はないからだ。

この問題に対しては、サーギル特任准教授は以下の通り応答する。「あらゆる場は人間が作らない限り存在しないというのが、地理学者の共通理解です。ミーティングルームのシステムは、あくまでZoom社が作ったものにすぎないことを忘れてはいけません」

Zoomがもたらすコミュニケーションの枠組みを所与のものとして自明視すれば、ホストとその他の参加者の権力関係は固定されたものとして描き出されてしまう。権力関係を解体するには、それを構築する場そのものに疑いのまなざしを向けなければならない。

さらに広げて言えば、場がテクノロジーに媒介されていると自覚することの重要性はオンライン授業に限ったことではない。「感染防止策として、ビッグデータの活用などを通じて人の活動を統制することが本格的に論じられ始めている今、我々の日常生活を形成しているテクノロジーを当たり前のものとして捉えてしまうことは危険です」

第二の考察対象である移動の制限の問題に移ろう。Twitterで、オンライン授業はまるで牢獄で勉強しているようだという意見も見られるように、これは多くの学生を悩ませている問題だ。確かに我々は今、大学のキャンパス内を自由に歩いて教室へと向かうことはできない。オンライン授業への唯一の経路はURLをクリックすることで、教室間を移動する際に寄り道する楽しみもない。

サーギル特任准教授はこの問題に対し「移動が制限されていることは現実の空間でも同じではないでしょうか」と問い掛ける。都市の面積の大部分は私有地であり、従って我々がアクセス権を持たない場がほとんどだ。店一つを見ても、客が入れる場とそうでない場は境界付けられている。にもかかわらず現実の空間においてあたかも移動の自由が存在するように思われるのは、我々が無意識に入れない場所をよけて都市を歩いているからにすぎない。

サーギル特任准教授いわく「そもそも、場とは空間が制限され境界付けられることによって初めて生まれるのです」。現実の空間で意識されてこなかった「場」は、オンライン授業において先鋭的に現れる。

しかし他方で、我々は「時間」という重要な要素を見過ごしているのかもしれない。今回の結論はあくまで「空間」に着目したが故に導き出されたものだ。移動する間の「時間」が本質的なものだとしたら、我々はこの問題にどう向き合うべきか。引き続きサーギル特任准教授と共に考えていきたい。


【連載】

サーギル博士と歩く東大キャンパス① 本郷キャンパス赤門

Take a Walk through Todai’s Campuses with Dr. Thurgill #1 Akamon, Hongo Campus

サーギル博士と歩く東大キャンパス② 本郷キャンパス三四郎池

Take a Walk through Todai’s Campuses with Dr. Thurgill #2 Sanshiro Pond, Hongo Campus

サーギル博士と歩く東大キャンパス③ 駒場Ⅰキャンパス 1号館

Take a Walk through Todai’s Campuses with Dr. Thurgill #3 Building 1, Komaba Campus

サーギル博士と歩く東大キャンパス④ 本郷キャンパス 総合図書館 【前編】

Take a Walk through Todai’s Campuses with Dr. Thurgill #4 General Library, Hongo Campus 【Part 1】

サーギル博士と歩く東大キャンパス④ 本郷キャンパス 総合図書館 【後編】

Take a Walk through Todai’s Campuses with Dr. Thurgill #4 General Library, Hongo Campus 【Part 2】

サーギル博士と歩く東大キャンパス⑤ 駒場Ⅰキャンパス 駒場池【前編】

Take a Walk through Todai’s Campuses with Dr. Thurgill #5 Komaba Pond, Komaba Campus 【Part 1】

サーギル博士と歩く東大キャンパス⑤ 駒場Ⅰキャンパス 駒場池【後編】

Take a Walk through Todai’s Campuses with Dr. Thurgill #5 Komaba Pond, Komaba Campus 【Part 2】

サーギル博士と歩く東大キャンパス⑥ 駒場Ⅰキャンパス 数理科学研究科棟

Take a Walk through Todai’s Campuses with Dr. Thurgill #6 The Mathematics Building, Komaba Campus

サーギル博士と歩く東大キャンパス⑦ オンライン授業【前編】

Take a Walk through Todai’s Campuses with Dr. Thurgill #7 Online Classes

「欧米と中国の間には想像上の空間的断絶があった」サーギル博士と歩く東大キャンパス【番外編】