亡き父の苦しみ、語り継ぐために 「家族証言者」目指す被爆2世の男性

亡き父に思いをはせる野田さん=長崎市内

 長崎で原爆に遭った亡き父の体験や戦後の苦しみを語り継ごうと、「家族証言者」として語り部を目指す被爆2世がいる。福岡県飯塚市の野田隆喜さん(62)。父が苦しんだ原爆症や貧困、差別。自分自身もそうだった。隆喜さんは「原爆は今も続く問題。風化させてはならない」と強い決意を抱く。
 「家族証言者」は被爆者が減少する中、長崎平和推進協会がその遺族らを対象に語り部として育成し、派遣する取り組み。同協会によると現在、広島県の1人を含む12人が在籍。隆喜さんが証言者になれば、福岡県からは初めてとなる。
 隆喜さんの父、和良さん=2015年に85歳で死去=は16歳の時、爆心地から約1.3キロの長崎市浦上町(当時)の自宅で被爆。自宅にいた和良さんの父は全壊した建物で圧死。姉、末弟も間もなく命を落とした。和良さんの母は原爆投下の1カ月前に病死しており、生き残った弟と2人で福岡県の筑豊へ移り住んだ。
 炭坑で働き、1955年ごろ結婚。だが、原爆症と認定された病に苦しみ、入退院を繰り返して満足に働けない日々が続いた。職場では腫れ物に触るような扱いを受けた。貧困で隆喜さんの3歳下の弟は関西の親戚に預けられた。隆喜さん自身も幼い頃から病気を患い、小中学校時代には同級生から「原爆がうつる」などといわれなき差別に遭った。
 和良さんは生前、自身の被爆体験を生協発行の証言集に残していた。それを実家で見つけた隆喜さんは父の体験を「形にして残したい」と朗読劇にすることを思い立ち、2018年8月9日、地元で子どもを相手に初めて上演。朗読劇の参考にと、上演前に、和良さんの証言映像が残る国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪れ、「家族証言者」の取り組みを知った。
 「家族証言者」への登録を目指し、2年前から研修のため長崎に通う。被爆遺構などをガイドする同協会の「平和案内人」の講習も受け、今年7月に正式に登録。近く、「平和案内人」として一足先に活動を始める。今後は筑豊で「家族証言者」、長崎で「平和案内人」として活動したい考えだ。被爆当時のことは分からない。だが父や自分が経験したつらい思いは、もう誰にもさせたくないと思う。「父や自分が経験した病気や貧困、差別といった不条理。それを語り継ぎ、同じことが繰り返されないようにしたい」と願っている。
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 隆喜さんは筑豊に原爆をテーマにした資料館の整備も計画。和良さんに関する情報提供や、被爆資料の寄贈を呼び掛けている。問い合わせはメール(kamihikouki‐1999@docomo.ne.jp)。

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