原爆投下前の長崎の街並み詳細に 「1945年8月8日の地図」 長崎の自然史研究家が構想から15年かけて完成

爆心地付近の復元地図

 被爆75年の節目に合わせ、長崎市の自然史研究家、布袋厚さん(61)が原爆投下前の長崎の街並みを詳細に復元した「1945年8月8日の地図」を制作した。原爆被災地復元図(同市編)や航空写真などの資料に加え、同市発行の長崎原爆戦災誌に収録された被爆者の証言で情報を補完。原爆被害の研究や被爆証言の検証、継承活動などでの活用が期待され、構想から15年かけて完成させた布袋さんは「過去と現在とを結び付け、歴史を語る上で必要になる地図。後世に残さなければいけないと思った」と話している。
 地図(縮尺3570分の1)には被爆前の店舗や工場、学校、公共施設、軍事施設などを詳細に明記。爆心地付近だけでなく、北は爆心地から約2.6キロの赤迫付近まで、南は同約4.4キロの東小島付近までを網羅している。
 長崎原爆の惨状を捉えた写真の収集、調査に取り組む長崎平和推進協会写真資料調査部会の松田斉部会長(64)は「ここまでの範囲を詳細にまとめたものはこれまでなく、貴重。被爆者は昔の小字(こあざ)で話す場合も多く、今回の地図で場所がより正確に把握できるようになるだろう」と評価。写真検証の際に使用している原爆被災地復元図よりも位置関係が正確な上、今と昔の地名も一目で分かるため、作業の効率化も図れると期待する。
 制作に当たっては、現代の「長崎市基本図」(同市発行)に原爆投下前の空撮写真を重ね、大正時代の古い地図などから旧町名や地番、小字の情報を収集。三菱重工業や十八銀行など企業の社史、長崎商工会議所や商店街の刊行物などから店舗の名前や建物の位置を割り出した。
 今月4日に長崎文献社から刊行された「復元!被爆直前の長崎」(B5判、192ページ)に24枚に分割して収録。爆心地以外の被害状況にも着目し、本には県庁(当時)や長崎駅付近で発生した火災の広がり方を視覚化した図も掲載している。延焼の方向や時間帯が細かく記され、延焼を防ぐため強制的に取り壊す「建物疎開」で広がりが抑えられたことが確認できる。
 布袋さんは「当時の店舗名などを見ることで記憶がよみがえる可能性もある。被爆証言の手助けにもなるのではないか」と話した。
 布袋さんは博物館学芸員の資格を持ち、2009年には江戸時代の長崎を詳細に復元した地図を制作している。

布袋厚さん

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