ウルトラマンシリーズ初期の演出や脚本を担った飯島敏宏さん(87)は、12歳の時に終戦を迎えた。2019年に出版した自伝的小説「ギブミー・チョコレート」には、戦時中の子どもたちが生き生きと成長する様子が描かれている。終戦から75年の夏に思うことを聞いた。(共同通信=福島聡)
―戦時中はどんな状況だったか。
私自身の記憶で言えば、幼稚園に通っていた頃までは自由な雰囲気がありました。ところが、(日中戦争開戦翌々年の)1939年に小学校に入った時くらいから段々変わっていきました。
41年に太平洋戦争が始まる頃には、大人がみな同じことを言うようになりました。「お国はこう考えてる」と。多様性が否定され、政府の方針に沿わないと「非国民」と非難されました。
―窮屈な子ども時代だった。
そんなことはありません。子どもたちはむしろ明るく、楽しく、伸び伸びと育っていました。映画やテレビドラマでは「人々の生活に国家が目を光らせていて、食料や物資が乏しい中、みんな暗い顔をして暮らしていた」というふうに描かれることが多いですよね。同世代で集まると「違うなあ。俺たち、あんなに暗くなかったなあ」という話になります。
恐ろしいのは、そうした子どもたちが、国家の意のままに「皇国の少国民」として一色に染め上げられていったことです。自分も、いずれ兵士として戦争に行って死ぬんだと思っていました。死ぬのが怖いとも考えていませんでした。そういう教育を受けているから当たり前になってしまっていました。
―東京大空襲も経験している。覚えていることは。
45年3月に東京大空襲があり、本郷の自宅が焼けました。翌朝、浅草まで歩いて行き、多くの遺体を見ました。川に突き刺さるように、飛び込んだ形のまま黒焦げになっている人もいました。今でも目に焼き付いています。
―45年8月15日に終戦を迎えた。その後は。
敗戦後、学校で教科書の「墨塗り」をやらされました。日本人の戦意を高揚さ せるような文章や絵を墨で塗りつぶしたのです。屈辱を感じたのは、戦時中に校 舎の爆撃に備えて墨を塗った壁が「汚い」と指摘され、全校全員で、サンドペーパーでこすらされた時です。あの悔しさは忘れられません。連合国軍総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CIE)に命じられるまま、それを行った行政の節操のなさにも反発を感じました。
―現代の日本をどう見ているか。
少し前に選挙で「この道しかない」なんてスローガンがありましたが、戦時中の標語を連想させ、とんでもないと思いました。自由に生きられることの幸せをかみしめながら、その自由を、しっかりと行使していかなければならないと痛感しています。
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いいじま・としひろ 32年東京生まれ。脚本・演出家、プロデューサーとしてウルトラマンシリーズや「金曜日の妻たちへ」に関わる。著書に「ギブミー・チョコレート」「バルタン星人を知っていますか?」など。