女子校生の佃煮【50代から始めた鉄道趣味】356

※2014年9月撮影

トップ画像は、城端駅1番線ホームに停まる高岡行キハ40-2092。同じJR西日本の加古川線からの転籍車両で当初は(今は見ることのできない)加古川色でした。筆者が見た2014年は、いわゆる高岡色ですが、この車両は、その後の写真では首都圏色に塗り替えられています。

さて、青春18きっぷ鉄道旅vol.13の初日、2020年9月4日は木曜日でした。朝イチで中央線の実家を出発して大糸線で糸魚川、まだ北陸本線の時代でしたから高岡まで来て氷見線に乗って高岡に戻って来たのが16時半。そろそろ初秋の空気も感じられる様になって「つるべ落とし」と言われる秋の夕暮れの気配もしてきました。

マヌケなコトに城端線で乗った高岡色のキハ40系、同じ40-2092しか撮っていなかったのです。高岡駅で出発前の後側です。16時35分発。

乗った瞬間にぶっ飛びました。車内は「女子校生の佃煮」状態なのです。ふつうに言えば、女子校生で満員だったのです。もう前面展望や後方展望という余裕はありません。身動きしたら「怪しい爺」と痴漢扱いされかねません・・・。

※2014年9月撮影

確かに城端線沿線には高等学校が多いのです。専門学校もあって女子校生がたくさん乗っていたのでしょうか。

高岡駅  富山県立志貴野高等学校

二塚駅  高岡市医師会看護専門学校

戸出駅  富山県立高岡南高等学校

砺波駅  富山県立砺波高等学校

東野尻駅 富山県立砺波工業高等学校

福野駅  富山県立南砺福野高等学校

53分間乗車して17時28分、城端駅に到着。途中からは男子高校生も増えました。

※2014年9月撮影

駅は、1897年(明治30年)中越鉄道の駅として開業。国有化され鉄道省中越線の駅になりました。1942年(昭和17年)高岡~当駅が城端線に改称。

高校生諸君がいなくなってからゆっくり降ります。盲腸線なので終端部が見えます。

※2014年9月撮影

1897年(明治30年)開業当時からの木造駅舎が使われています。貴重です。2013年(平成25年)の青春18きっぷの冬期ポスターに城端駅が使われています。

※2014年9月撮影

流石に17時半、夕暮れで写真がしんどくなってきます。しかし細部も素晴らしい駅舎。

※2014年9月撮影

駅前に柳田國男さんの看板。1909年(明治42年)に城端を訪れた柳田は紀行文「木曽より五箇山へ」に「城端は機の声の町なり 寺々は本堂の扉を開き 聽聞の男女傘を連ね 市に立ちて甘藷の苗売る者多し 麻の暖簾京めきたり」と書き、城端が「越中の小京都」と呼ばれる様になったのです。

※2014年9月撮影

※オリジナル写真が縦なので加工してあります

※2019年城端駅舎改修で看板は撤去されました

城端駅正面。柳田國男が訪ねた五箇山(もうちょっと左かな)の向こうは石川県です。

※2014年9月撮影

城端駅に貼ってあったポスター。ラッピング車両が分かります。

※2014年9月撮影

※オリジナル写真が縦なので加工してあります

17時43分の高岡行にのります。もう撮影は限界かな。

※2014年9月撮影

写真は諦めて高岡に戻ってホテルにチェックイン。明日はのと鉄道に乗ります。

今日の乗車距離、502,3km。よく乗りました。

※筆者は既にコラムなどで青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格などは2014年当時のものです。

(写真・文/住田至朗)

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