亡き父の被爆体験 教え子にバトン託す 諫早東高・河野校長

被爆体験手記を朗読する岩永さん(左)と河野校長=諫早東高

 長崎原爆の日の9日、諫早市森山町の県立諫早東高(200人)の平和集会で、河野康宏校長(60)の亡き父が語り残していた被爆体験が同校生の朗読で初めて明かされる。本年度末で定年退職を迎える河野校長が教員生活の区切りとして、教え子たちに“平和のバトン”を託すことにした。
 父、通さんは長崎師範学校1年だった18歳の時、長崎市の三菱兵器製作所大橋工場で被爆。戦後、県内の小中学校教諭を務め、2009年、80歳で死去した。河野校長は通さんから被爆体験を聞かされた経験はなく、死去後、家族が口述記録していた手記を通して初めて知ったという。
 同校生徒会が、平和集会で被爆者の手記朗読を計画しているのを聞き、通さんの手記を提案。朗読は放送部の岩永航太さん(17)=3年=が担当、約2週間前から練習を重ねている。
 手記には工場の下敷きになり、死を覚悟した心境や、腹から内臓が飛び出していた友人を手当てした思いなどが赤裸々に記されている。「『もうダメだ』と死を覚悟した」-。岩永さんは、通さんの“心の叫び”に気持ちを込めて読むことを意識。「自分と同じ年ごろの人の日常が、原爆で突然変わったことが恐ろしく、心に重く感じた」
 河野校長は「『平和の役に立てて』と遺(のこ)した父への親孝行であり、生徒たちには『頼むよ』という思い。学校で授業を受けるという日常の中の平和を学び、思いやりのある人になってほしい」と願いを込める。

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