表現から学ぶ戦争、継承こそ「抑止力」

反戦画家の父の遺志を伝える四国光さん  ♯8月のメッセージ

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 原爆の悲惨さを描いた絵本「おこりじぞう」の挿絵などで知られ、2014年に89歳で亡くなった画家で詩人の四国五郎(しこく・ごろう)さんに関する企画展が国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開かれている。戦争と原爆を巡る壮絶な体験が生んだ作品に込められたメッセージは。反戦の思いをどのように未来につないでいくことができるのか。講演やメディアなどで四国さんについて語ってきた長男の光さんに聞いた。(共同通信=野口英里子)

インタビューに答える四国光さん

 ―没後6年間で、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館など全国22カ所で展覧会が開かれ、テレビや新聞などで特集されるなど、五郎さんの活動に再び注目が集まっている。

 父が亡くなった途端、さまざまなことが一気に起こり始めました。作品を管理する遺族として、展覧会開催のお手伝いや出版、取材、番組制作、国内外の美術や歴史の研究者に協力をさせていただいています。先日は、米オハイオ州にあるオーバリン大のサイト内に、父の活動を紹介するページが開設されました。今後は広く平和教育などの教材として活用されることを期待しています。

 ―五郎さんは戦争への怒りや平和の尊さを表現した絵画を数多く残した他、被爆者本人が被爆体験を描くNHKの企画「市民の手で原爆の絵を」へ協力したり、広島市で毎年8月に開催される「広島平和美術展」(今年は新型コロナウイルスの影響で中止)を創設したりするなど、「反戦画家」として多様な方法で平和の重要性を発信した。

 父は1924年、現在の広島県三原市で農家の三男に生まれ、10歳のときに広島市に引っ越しました。幼い頃から絵が大変うまく、画家になることしか考えていないような少年でしたが、経済的な事情から尋常高等小学校卒業後の14歳で働き始めます。勤務先は、現在解体問題で揺れている陸軍被服支廠(ししょう)でした。

 父の人生を決定付けたのは、20代前半で体験した「三つの戦争」です。一つ目は、第2次世界大戦中の戦場と軍隊の体験です。20歳のときに満州(現中国東北部)に渡り、旧ソ連軍との激しい戦闘をくぐり抜けただけでなく、上官からの理不尽な私的制裁にも日常的にさらされました。毎回、顔の形が変わるほど殴られたそうです。

 生き残って終戦を迎えましたが、捕虜として約3年間、シベリアに抑留されます。これが二つ目の「戦争」です。過酷な労働と栄養失調の末に吐血して倒れ、危篤状態に陥りましたが、現地の病院で治療を受けて命をつなぎとめました。

自身の作品が使われたカレンダーを手にする画家の故四国五郎さん

 三つ目は「弟の被爆死」。48年、原爆で破壊された故郷に戻った日、5人兄弟の中で最も仲が良かった弟、直登(なおと)が原爆投下の約2週間後に亡くなっていたことを家族から知らされます。深い悲しみと戦争への憎しみから「反戦平和のために絵を描こう」と決意しました。

 ―戦争や原爆を描いているはずなのに、恐ろしさを感じさせない画風が印象的だ。

 「平和を絵のテーマとして選んだのではなく、反戦平和の絵を描くことを生き方として選んだ」と言っていた父にとって、絵は単なる鑑賞物ではなく、戦争の記憶を伝え、平和を実現するための「手段」でした。大人から子どもまで目を背けず繰り返し見てもらうために、死者の顔であってもきれいに描くなど理解しやすい表現を心がけていました。

 原点は、シベリアの収容所で起きた「民主運動」です。ポスターや壁新聞などを作成し、仲間の抑留者に反戦や民主主義の大切さを気づいてもらったことで、自分の表現に人の心を動かす力があると確信しました。

父・五郎さんの画集について語る四国光さん

 表紙絵と挿絵を担当した「おこりじぞう」は、父の望み通り幅広い年代に親しまれ、戦争を理解するための「入り口」になっていると思います。

 ―第2次世界大戦の終戦から75年。四国さんのように戦争の悲惨さを、身をもって知る人は減っている。

 二度と戦争の道を歩まないためには、戦争の記憶の継承が最も大切です。その重要な手段の一つが、世代を超えて残る表現物です。芸術、映画、文学、写真。どんな形態でもいい。出来事を正確に残すことが目的の記録とは異なり、作者が自分の思いを伝えようと心を砕いて生み出した表現物は、人を感動させる。

 そして感動したということは、作者の思いが相手に継承されたということです。継承されたものは受け手の心に強く残り、行動や考え方を変えることができます。このような力を持つ表現物から戦争の恐ろしさを知り、実際の戦争を遠ざける。この学びのプロセスを繰り返すことこそが戦争に対しての本当の「抑止力」だと思います。

 日本には、戦争や平和に関する表現に日常的にアクセスできる環境がまだまだ少ないと感じます。父の展覧会を訪れる人々は、芸術家や愛好家ではない「普通の人」が多い。買い物帰りにふと立ち寄り、父の絵に触れる。父の展覧会は「街の中に突然現れる戦争」であり、そこで戦争がどんなに残酷で、理不尽で無意味なのかを気付いてほしいと思います。

四国光さん

 父の最後の画集のタイトルは「四國五郎平和美術館」といいます。反戦平和を願う表現物を集めた場所を広島につくることは、父の夢でした。また生前から、広島市内に父の絵を常設展示してほしいという声を多く頂いていますが、実現できていません。

 ―元慰安婦問題や天皇をテーマにした作品を扱った国際芸術祭内の企画展を巡る問題に代表されるように、日本では政治的な表現は敬遠されがちだ。

 同じ敗戦国であるドイツの首都ベルリンの街中に、大戦の加害責任を伝える芸術作品が多くあることと対照的です。

 「つまらんことで怒るな。戦争を起こす人間に本気で怒れ」。小学生だった自分に父がよく言った言葉です。国に無批判に追従した結果、戦争を招いたという痛烈な反省から生まれたのだと思います。政治に声を上げるのは市民として当然の行為。今の社会に一番必要な姿勢ではないでしょうか。それは芸術でも同じ事だと思います。

 未発表の作品もあります。「父の思いをせき止めてはいけない」という一心で、今後も必要としてくださる人の元に、父の残した作品を届けていきたいと考えています。

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 しこく・ひかる 56年、広島市生まれ。大手広告会社を定年退職後、講演会やメディア出演などを通じて父親の生きざまや作品を伝えている。

※広島市の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開かれている企画展は12月29日までの予定。