五輪新設・人工カヌー場は負の遺産? 羽根田卓也が提言する"だけじゃない"活用法

昨年7月、東京江戸川区に東京オリンピック・パラリンピックのカヌー・スラロームの会場となる『カヌー・スラロームセンター』がオープンした。国内で初めて水路に人工的に水を流して競技を行うことのできるこの施設は、日本国内のカヌー競技者にとって「待望」の施設。カヌーの普及、次代に遺すべき“レガシー”としての役割が期待されているが、リオ五輪の銅メダリスト・羽根田卓也はこの施設を「カヌーだけの施設にしてはもったいない」と語る。「むしろ、カヌー・スラロームセンターという名前じゃなくてもいい」日本カヌーの第一人者である羽根田の発言の真意には、オリンピックのレガシー、スポーツと社会との結びつきなどさまざまなテーマが内包されていた。

(インタビュー・構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、撮影=高須力)

世界に誇れる人工コースが日本に誕生!

――昨年7月、葛西臨海公園の隣接地に誕生した『カヌー・スラロームセンター』は、日本で初めての人工的な水流を用いた競技に使用できるコースとして注目を集めました。羽根田選手もお披露目イベントで「世界に誇れる施設」とコメントされていました。

羽根田:いや、本当に良いコースなんですよ。施設としてオリンピックにふさわしいものが全て備わっていますし、安全面も含めて世界に誇れる施設だと思います。アテネや北京のコースは、僕たち競技者も降りるのが怖いような「べらぼうな激流」だったんですよ。でも正直、実際に競技を行う上でもそんなにべらぼうな激流って必要ないんです。オリンピックだけならまぁいいんですけど、オリンピック後に一般開放することだったり、ジュニアの育成のことを考えると、べらぼうな激流がデメリットになることもあります。

東京のコースは、カヌースラローム競技にも十分な難易度、川の流れがありつつ、後々初級者から上級者まで楽しめるようないろいろな使い道があるコースになっていて、その点がすごくいいなと思っています。

せっかくできた施設を「カヌーの押し付け」にしたくない

――東京オリンピック・パラリンピックの開催決定から、次世代に遺すべき「レガシー」という言葉が聞かれるようになったと同時に、メインスタジアムとなる新国立競技場建設をめぐる騒動を発端に、巨額の建築費をかけて「オリンピックのための競技施設」を新造することへの疑問の声も聞かれるようになりました。オリンピックの時だけ、カヌーのためだけではなく、その後どう使われるかも重要ですよね。

羽根田:こういう話をする時に、自分の競技の押し付けみたいなことは絶対したくないと思っています。オリンピックのためにこのセンターを造ったんだから自分たちが独占して、半永久的に使いますということは不可能だし、するべきではないと思っています。

――新型コロナウイルス感染拡大で、日本に素晴らしい人工コースができたにもかかわらずそこで練習できないという苦境も続きました。それも社会の状況的に仕方ない部分が大きいとも発言していましたね。

羽根田:一番良くないのは、自分たちの競技のエゴを押し付けることだと思っていて、例えば施設ができたらそれで終わりじゃなくて、維持していくのにもお金がかかる。その費用を我々が全て負担できるわけではないし、だからと言って誰かに払わせて知らん顔というわけにもいきません。その費用をどうやって確保するかもみんなで一生懸命考えていかなければいけない。自分たちのトレーニングができればそれでいいじゃなくて、あの施設をずっと稼働させて、遺していくためにはどうしたらいいのかを考える。現時点では東京都の施設ですが、オリンピックが終わって、民間と一緒に管理していくのか、民間100%になるのか、どんな形になるのかはわかりませんが、どんな場合でも自分たちができることを模索する必要があると思っています。

――カヌー・スラロームセンターについては、整備費73億円が投じられ、試算とはいえ年間1億8600万円の赤字が見込まれているという報道もありました。

羽根田:その赤字がどうやって計算されているのかわかりませんが、単純な数字だけじゃなくて、せっかく完成した日本に初めてできたこの施設を、区民のみなさん、東京都民、日本国民のみなさんにどうすれば使ってもらえるか、楽しんでもらえるかを我々も頭をひねって知恵を出していかなければと思っています。

ヨーロッパでは水難救助の訓練にも 「カヌーだけじゃない」施設の使い道

――カヌーだけじゃない利用法とか、どう役立てるかということを。

羽根田:そうですね。カヌーコースだからカヌー選手だけが使うんじゃなくて、みなさんに有効に使っていただく、楽しんで使ってもらうってことですよね。例えばカヌーって、流れのあるところでやるには結構練習しないと乗れないんです。でも、ゴムボートに5、6人が乗るラフティングなら、初めてやる人、泳げない人も楽しめます。ラフティングもSUP(スタンドアップパドル:サーフボードの上に立ちパドルで漕ぐアクティビティ)も、いろいろなウォーターアクティビティができる。それも人工コースの楽しみ方、使い道の一つです。

ヨーロッパのこういう施設では、ウォーターアクティビティ以外にも盛んに活用されていて、消防士が人工の流れの中でロープを使って水難救助の訓練をしたり、人工コースの流れのないところに古い車を沈めて、救助活動のトレーニングを行ったりしているんです。

『カヌー・スラロームセンター』という名前がついていますが、カヌー選手だけじゃなくて、水に関わる人たちはもちろん、それ以外にもみなさんの安全や生活に役立ついろいろな使い道がある、無限の可能性を秘めた施設なんじゃないかなと思っています。

その点では、僕はカヌーコース、カヌー・スラロームセンターと呼ばれることに抵抗を覚えるくらい、「カヌーだけじゃないんだけどな」と思っているんですね。むしろ施設の名前にカヌーとつけてほしくない気持ちもあるくらい(笑)

カヌー・スラロームセンターと言われると、お金をかけてカヌーのために建てた施設、(一般の人たちが)自分たちは使えないと思ってしまうと思うんですね。実際はカヌーは使い道のほんの一つであって、そのほかにもいろいろな使い道があって、みんなの暮らしに関われるような施設になるはずだと思っているので。

――水難救助の訓練にも使われているというのは面白いですね。ヨーロッパはカヌーが盛んだから人工コースもたくさんあって、環境が整っているのだと思っていましたが地域に役立つ施設として必要とされているということですね。

羽根田:現在も被害に遭われている方がいらっしゃいますが、日本は台風とか大雨、川の氾濫などの水害が多い国ですよね。水害の際の救助の訓練というのも一つの使い道だと思います。

「水は速くて、重い。強くて怖い」水のエキスパートが鳴らす警鐘

――水害といえば、九州豪雨の際にはTwitterで「水は速いです。重いです。強いです。恐いです。激流になるとだれも勝つことができません。逃げてください。近づかないでください。残らないでください」と水のエキスパートの立場から発信されていたことも印象的です。

羽根田:毎日、水や川に接している人間として川がどれだけ恐ろしいものか、水がどれだけ速くて重いものかっていうのを伝えられたらなと思ったんです。災害を比べることはできませんが、突然やってくる地震と違って、川やダムの決壊はある程度予測や準備ができると思います。もしかしたら、みなさんと自分の川や水に対する恐れに差があるのかなと思って注意喚起になればと。

――羽根田選手から見てもやっぱり水って怖いものなんですね。

羽根田:非常に怖いですね。プールで泳げたとしても川の流れで泳ぐのは全く別のことです。何が怖いって川の流れって水だけじゃないから。いろんなものが流れてくるし、いろんなものに挟まれる可能性がある。それこそ渦を巻いていればそこから一生出てこられないこともある。カヌーの仲間でも、川で亡くなった人はたくさんいますし、激流に慣れている川のエキスパートでも命を落とす危険があることを知ってもらいたいという思いは強いです。そういう危険なものが、自分の家の前に流れていることを知ってほしい、普段からもう少し意識してほしいという気持ちがあります。

アスリートにはポジティブなエネルギーや良い影響を与える義務がある

――羽根田選手のSNSでの発信がメディアに取り上げられたりしていますが、SNSを使って発信する理由みたいなものってあるんですか?

羽根田:理由。うーん、やっていない人に無理やりやるべきだと言うつもりはないんですけど、この時代にスポーツ選手がSNSをやってないっていうのは非常にもったいないですよね。それに、スポーツ選手、アスリートにはそういう責任があると思うんです。

――責任ですか? 発信する責任が?

羽根田:これは2月に行ったオーストラリア合宿でスロバキア人のコーチと話してすごく腑に落ちたことなんですけど、ほとんどの選手は企業なのか後援会なのか、何らかのサポートを受けて活動をしているわけですよね。それこそ国の代表選手、オリンピアンとなると、ほとんどの選手は国から税金をもらってトレーニングをして大会に出ているわけです。スロバキアのコーチは、そういう選手たちは自分の成績を追求するだけじゃなくて、応援してくれる人、サポートしてくれる人たちに対してポジティブなエネルギーや、良い影響を与える義務があると言うんです。

実は僕もSNSはやっぱりちょっと恥ずかしかったりとか、自分のがんばっている姿をこれ見よがしにアップするのはちょっと、と思っていたところもなきにしもあらずだったんです。でもコーチの話を聞いて本当にその通りだなと。そのコーチは続けて、SNSでの発信もそうだし、メディアに出るのもそう。とにかくスポーツが前向きなものである、スポーツ選手が“前向きな存在”の代名詞になることで、みんなにポジティブなエネルギーを伝える義務があると言っていました。その話を聞いて、自分の行動や発言、発信で何かを感じ取ってもらうことも我々アスリートの大切な使命の一つなんだなとすごく思いましたね。

――そういう意味では、水に関わるさまざまなことができる施設ができたことで変わっていくこともありそうですね。水に触れる競技としてカヌーの普及をしていくこと、羽根田選手の後継者を育てることも重要だと思うのですが。

羽根田:カヌーの普及活動で何が一番難しいかって、まずカヌー体験をする場所を確保するところです。子どもたちがカヌーを始めたいと思っても、池とか川とか離れたところに行かなければいけない。そこには子どもだけで行くのは難しいし、カヌーを運ぶのも大変。カヌーの体験会をやろうと思っても人数分のカヌーを用意して運んでという難しさもある。仮に体験してカヌーを続けたいと思ってくれたとしても、継続的に練習する環境がない。そういった意味では東京に、アクセスが良くて、駐車場もあって、子ども一人でも電車で通うことのできる施設ができたことは非常に大きいです。

オリンピックが終わったら、コースの横にたくさんのカヌーが並べられると思うんですよ。そこで体験もできるし、練習もできる。この施設ができたことは我々にとってすごく革命的な出来事なんです。

――羽根田選手は、世界のトップを目指すために高校卒業後にスロバキアに渡る選択をしたわけですが、この施設ができたことで、次代の選手の選択肢が広がったわけですね。

羽根田:数年後にはこのコースに海外からトップ選手がやってくるのが日常的な光景になっていると思います。僕たちの時代と違って日本で国際大会がどんどん開かれるようになって、日本にいながらにしてカヌーのトップを目指す環境が整っていくと思います。

――羽根田選手自身も将来的に選手育成、指導に携わる可能性も?

羽根田:これだけカヌーに携わっていて、いろいろなことを経験してきたので、それを伝えたいと思います。選手の育成は、あれだけ素晴らしいコースがあればそんなに難しいことはいらないと思っています。僕も含めて僕の世代や上の世代ですでに引退している元選手たちが、「東京の人工コースでカヌーのコーチングできる」なんて、夢のような話ですから、子どもたちに教えたいという人材はたくさんいると思います。このコースができたことで、カヌーに興味を持ってくれる子どもたち、カヌーを漕ぐ子どもたちが増えればそれだけで競技力は上がっていくと思います。

<了>

[PROFILE]
羽根田卓也(はねだ・たくや)
1987年生まれ、愛知県豊田市出身。ミキハウス所属。9歳から父と兄の影響でカヌーを始める。高校卒業後に単身、カヌー強豪国であるスロバキアへ渡り、以降同国を本拠に国際大会で活躍。2008年北京大会でオリンピック初出場。ロンドン大会で7位入賞、リオデジャネイロ大会では、カヌースラローム競技でアジア初となる銅メダルを獲得。2018年アジア大会で金メダル、2連覇を達成した。東京2020大会でさらなるメダル獲得を目指す。

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