福島・伊達市住民被ばく論文の撤回がもたらしたもの 同意のないデータ使用、被ばく線量過小評価のミスも

福島県伊達市の住民の被ばく線量を分析し英専門誌に掲載された2本の論文。赤い文字で「Retraction」(撤回)と書かれている

 東京電力福島第1原発事故後、福島県伊達市の住民の被ばく線量を分析し、英専門誌に掲載された論文が7月、撤回された。本人の同意を得ていないデータが多数使われ、被ばく線量を過小評価する計算ミスが見つかるなど、論文を巡っては問題が次々と露呈した。「故意ではなかった」とする著者側の説明を踏まえたとしても、科学者が不適切にデータを扱った上、住民の健康に関わる被ばく線量を低く見積もっていた責任は重い。国の放射線審議会でもこの論文が一時、資料として引用されていたこともあり、原子力規制行政にも影響を与えた。(共同通信=永井なずな)

 ▽博士号取り消し

 「倫理上不適切なデータ使用が確認され、著者側は撤回に同意、全ての調査に従った。本文中の数字も間違っている」。英専門誌「ジャーナル・オブ・レディオロジカル・プロテクション」は7月末、ホームページ上で2本の論文の撤回を発表した。

 論文はいずれも福島県立医大健康増進センター宮崎真(みやざき・まこと)副センター長と早野龍五(はやの・りゅうご)東大名誉教授の共著によるもの。1本目は、測定された空間放射線量から政府の換算式を使って推計した被ばく線量に比べ、実際の個人線量は低かったとする内容で、2016年に掲載された。17年には、伊達市の一部地域に70年間住み続けた場合の累積線量は20ミリシーベルト未満になると算出した2本目の論文が掲載されたが、著者側は19年1月、累積線量を3分の1に低く評価する誤りがあったと謝罪していた。

煙を上げる東京電力福島第1原発3号機。左手前が2号機、右奥が4号機=2011年3月21日(東京電力提供)

 「論文撤回という結果になったことは誠に残念と受け止めています」。福島県立医大は撤回を受け、文書でコメントを発表した。宮崎氏の博士号の学位を取り消したことも明らかにした。

 ▽同意なきデータ

 伊達市は福島県北部の農村都市で、事故があった第1原発の北西約60キロに位置する。事故で飛散した放射性物質は同市にも及び、一部地域は放射線量が年間20ミリシーベルトを超えると推定され「特定避難勧奨地点」の指定を受けた。市は健康管理対策として、全住民を対象に「ガラスバッジ」と呼ばれる個人線量計を配布。15年8月、ガラスバッジで事故後の11年~15年に測定した住民の被ばく線量の解析を著者側に依頼した。市が住民のデータを提供した際、データの使用に「不同意」と回答した人や同意書を提出していない人の分が含まれていた。

伊達市が住民に配布したガラスバッジのサンプル(同市提供)

 周知なく発表された論文に住民の一人が疑問を持ち、市へ情報開示請求を始めたことから、問題が発覚し、市議会も追及。データの提供経緯を検証する市の第三者委員会の調査で、市職員が著者側に渡した約6万5千人の外部被ばくデータのうち、約3万4千人はデータ利用の同意がなかったことが判明した。第三者委は20年3月、「個人情報の取り扱いに対する意識を著しく欠いていたことに加え、管理体制が不十分だった」ことが原因とする報告書をまとめた。

 ▽揺らぐ信頼

 論文は一時、第1原発事故を踏まえて放射線に関する基準を検証した国の審議会の資料に、結論を導く根拠の一つとして引用され、問題発覚後の19年1月、「信頼性を確認するまで引用を控えるのが適切」(審議会事務局)と、資料から削除された経緯がある。施策に影響を与える重要な論文だったと言え、国の検証作業への市民の信頼が揺らぎかねない事態につながった。

国の放射線審議会の資料。放射線の基準を検証するために作成されたが、問題となった論文から引用した部分は丸ごと削除された

 「被ばく線量という機微なデータが、知らない間に使われたのは憤りを感じる。線量を過小評価した論文内容は、市民を軽んじているようで、もっと許せない」。情報開示請求を重ね問題を突き止めた同市の主婦(50)は取材にこう語った。

 著者側は「不同意データが含まれていることを知らなかった」としているが、「普通に考えれば、全住民が同意する方が不自然。研究者であれば疑問を抱いて確認するはず」(専門家)と厳しい声もある。

 研究者と行政の双方に落ち度があった今回の不祥事。ある市幹部は「市の情報管理はあまりにずさんだった。自分たちに著者を悪く言う資格はない」と漏らす。市は近く、著者側との連絡役だった当時の担当職員を処分する方針で、懲戒委員会が聞き取り調査を進めている。

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