長泥産認められるか アスパラガス特産品に【復興を問う 帰還困難の地】(17)

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アスパラガスの根株を植える苗床づくりに励む鴫原さん

 東京電力福島第一原発事故で帰還困難区域となっている飯舘村長泥行政区の農業鴫原圭子さん(58)は、避難先の福島市松川町でアスパラガスの栽培に励む。避難指示が解除されたら、古里を産地にするのが目標だ。

 長泥行政区で野菜作りに取り組んでいた。インゲン、コマツナなどを出荷し、売り上げは順調だった。原発事故前の二〇一〇(平成二十二)年、自宅の畑にハウス二棟を設け、アスパラガス栽培に乗り出した。村の冷涼な気候は県内一の産地である会津地方に似ていた。

 「長泥の名前を冠した野菜として特産品にしよう」。近隣の農家五人に栽培を呼び掛け、準備を進めていた。だが、二〇一一年三月十一日、東日本大震災と原発事故が発生した。初の収穫まで、あと数日だった。

 長女が住んでいた会津若松市などに身を寄せた後、福島市に避難した。慣れない土地での生活を強いられ、精神は疲弊した。避難先の近くには田畑が広がり、借りることができたが、約二年間は土を触る気力が湧かなかった。

 一時帰宅で長泥行政区の自宅に戻ると、家は激しく傷んでいた。絶望感にさいなまれつつ畑に目をやると、雑草に埋もれながらアスパラガスが育っていた。やせ細ってはいたが、数年にわたり放置しても根を張る姿に勇気づけられた。「もう一回、挑戦してみよう」。二〇一四年に福島市で栽培を再開した。

 生産方法を一から学ぼうと、優れた品質のアスパラガスを出荷している喜多方市の生産者のもとに通った。そこで、県内では珍しい「伏せ込み促成栽培法」を習得した。

 露地で養成した根株を掘り上げ、加温したハウス内に伏せ込む方式で、十二月から二月にかけての冬期に出荷できる利点がある。根株を原発事故の影響を受けていない地域で養成すれば、避難指示の解除後、早い時期から長泥行政区で営農を再開できると確信した。

 二〇一五年の春、福島市の直売所にアスパラガスを初出荷した。柔らかく、香りが良いと買い物客から好評だった。「飯舘村から避難しているんだね。頑張って」。励ましの言葉を掛けられ、胸が熱くなった。

 長泥行政区は二〇二三(令和五)年春を目標に、特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除の準備が進む。自宅周辺は復興拠点として整備されるが、村は「特殊事例」として復興拠点外との一括解除を目指している。環境省は除染土壌を再生利用した農地の造成を進める。古里は原発事故前の姿から大きく変貌する。

 鴫原さんは長泥で農業にいそしむ未来を思い描く。ただ、再生利用した土で栽培した作物が人々に受け入れてもらえるのか、一抹の不安を抱く。「安全であるなら、国はもっとアピールすべき。長泥の野菜はおいしいって言ってもらえる世の中に戻してほしい」。切なる思いを口にした。