人生には「諦め」も大事、セミリタイア間近に考えたこと

これからの幸せな人生のためには「何をプラスするか」よりも「何を諦める」かが大事ではないでしょうか。あとは、努力をせずいかに手抜きをするか、ということも重要です。


勉強会での出来事

先日、とある勉強会で講師をやってきたのですが、終了後にその場にいた人々との雑談になりましたが、それが非常に印象的でした。現在50歳だという彼女は私が8月31日をもって47歳でセミリタイアをすることを知っていたのですが、こう言うのです。

「あ~、中川さん、羨ましい! ほんっとうに、心から羨ましい! 私だって早く仕事辞めたいんですよ! 旦那は私より8歳年上で彼が65歳で定年する時、今から7年後に私も一緒に辞める予定だけど、7年も待てない! あれ、中川さんはお子さんいらっしゃるの?」

「いないですよ」

「そうか~、それもフットワーク軽くいける理由の一つですよね……」

元々日本では「正社員になる」「結婚する」「子供は最低2人」「マイホームを持つ」「車も持つ」「子供をいい学校に入れる」「孫をかわいがる」「親戚づきあいを大切にする」といった「あるべき姿」的な価値観がありました。

さらに、最近はSNSで公開したくなるような「素敵なオシャレライフ」「立派な家具や最新鋭電化製品」を獲得する、といったものもあります。私の場合「結婚する」以外は一つも達成していないですし、今後も「車を持つ」以外は達成できないでしょう。地方に引っ越したら軽自動車を買おうかと思っています。

いや「達成できない」というよりも、「達成をすでに諦めた」ということなんですよね。いずれも配偶者とは合意済みで、「お互い考えが合って良かったね!」という結論になりました。

ただし、これらの「あるべき姿」を本気で手に入れたいと考える人もいるわけで、この50歳の女性はそれらを手に入れたわけです。だったら「羨ましい~」なんて私に言わないでいいと思うのですが、ふと日々の大変なことを思い返し、そう言ってしまったのかもしれません。子供の塾をどうするか? 住宅ローンはあと20年残っている、急な人事異動で望まぬ部署に行かされてしまう……。

「あるべき姿」を追及すればするほど大変なことが増えてしまうんですよ。一方、様々なことを諦めてしまうと心配事は極端に減ります。正直、私の場合、自分と妻の健康以外に心配事はありません。

もしも息子がいたら

私達夫婦は息子がいた場合は「ひろし」という名前をつけようと思っていました。そして、外で遊ぶ子供たちや野球少年を見た場合、若干肥満の短髪の少年を見ると「ひろしがいるよ」と言います。こうした少年がたまらなくかわいいな、と思うんですよ。ただ、それは他人の子供だからかわいいだけだろうな、とも確認し合います。

ひろしが太っていることが理由で「デブゴン」だのとあだ名をつけられていじめられたら本当に可哀想になります。学校から帰ってきてランドセルを置いて自分の部屋にとじこもってしまった。「おやつの時間だよ~」と言うと「いらない!」と声が聞こえる。

夜、「どうしておやつを食べなかったの?」と聞いたらひろしは重い口を開いてこう言う。

「今日も学校でデブだとバカにされてつねられたの。だから太らないようにおやつを食べなかったの。ぼく、悔しかった」

ひろしはこう言って目に涙を浮かべる。妻は「ひろし~、お母さんはアンタの味方だからね~。苦しかったらいつでも言ってね~」とひろしを抱きしめる。

いや、完全にアホな妄想なのは分かりますが、多分私達はすべてに臆病なんだと思います。「住宅ローンを途中で払えなくなったらどうしよう」「東京の狭い道で事故を起こして人を殺してしまったらどうしよう」「これまで内勤をしていたのに突然外回りの営業部署に異動させられたらどうしよう」――常にこんな心配ばかりをし、その結果様々なことを諦める人生を送ってきました。

こんなことを書くと「人生の楽しさを知らない」だの「惨めな人生だ」などと思う方もいるでしょうが、別にどうってことないんですよね……。不思議なもので、現状の生活がかなり充実しているとしか思えないし、将来の心配事がまったくないのです。

「装飾しない」人生

セミリタイアをしたら現在の家賃は払えなくなるので、引っ越しをすることとなります。この時に本当にラクなのが、資産価値のあるものがパソコン以外一切ない点です。ロクな家具や電化製品、食器、調理器具は我が家にありません。

「北欧の家具で揃えました」なんてことを自慢したい気もないため、とにかく後はすべてを捨てるだけ。

「諦める人生」「手抜きする生活」、悪くないですよ。かといってミニマリストでも何でもなく、自分の人生を装飾したいとまったく思わないだけです。

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