『人生を学んだ無の時代』 福井葉月さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 北京東城第二国民学校2年の昭和20年8月15日、父に終戦を知らされた。両親の困惑した姿も7歳の私には理解できないまま、母の手をしっかり握っていた。
 家族6人。両親に守られながら、いくつもの苦難を乗り越え、翌年3月に父の古里・島原にたどり着いた。長女の私は島原第三小学校3年4組に編入。私と同じように中国などから引き揚げて来た子どもが多く、教室には50人ほどの机が並んだ。地元の子どもたちは、みすぼらしい姿の私たちを差別することなく受け入れてくれた。毎年、学年末に撮影した同級生との集合写真は宝物だ。
 1年ほどしたら給食も始まり、コッペパンや脱脂粉乳、バター、チーズが出た。チーズは今でも大好物だ。衣食住不足の時代、おやつはなく、近所の畑の桑の実を内緒で食べ、口を紫色で染めた。木から落ちた熟した梅の実の香りと味は、今でも忘れられない。近所の子どもたちが弟と妹を連れ、トンボやセミなどの虫捕りを楽しんでいた。私も監視役でついて回った。
 振り返ると、過ぎた日々は貧しくとも心は満ち足りていた。父の「やってやれないことはない」という言葉が今も胸に残る。私は両親の愛を糧に生きている。
(雲仙市・主婦・82歳)

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