「二度と戦争しない世界を」 戦死の叔父 後ろ姿脳裏に

えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

©株式会社長崎新聞社

「弟の命日にはいつもリンゴを供えています」と語る山川さん=島原市御手水町

 長崎県島原市の山川和子さん(80)は戦前戦中、中国・大連で生まれ育った。幼い頃のことだが、記憶が鮮明なシーンがある。
 昭和18年ごろ、陸軍所属の母方の叔父と、大連の施設で家族と一緒に面会したときのこと。軍服姿の叔父は帰るとき、長く暗い廊下を真っすぐな姿勢で一歩一歩ゆっくりと一度も振り返らず去っていった。その後ろ姿が脳裏に刻まれているという。同年、20歳で戦死した。また、母方のもう一人の叔父は海軍で、昭和20年に25歳で戦死した。
 山川さんは昭和22年2月の引き揚げ時、7歳だった。父37歳、母32歳、妹6歳、弟は4歳と1歳。浦頭港に着いた後、頭から殺虫剤のDDTを振りかけられた。平釜には野菜の皮やくず、魚や鳥の骨などが入った雑炊のようなものが作られていて、アルミのわんについでもらったことを覚えている。
 南風崎の駅まで家族で歩いた。履いていたのは靴だったか草履だったか。ずっと気になっているが亡き両親には聞かずじまいで、心残りだという。「もっといろんなことを聞いておけばよかった」と話す。
 南風崎から母方の祖父母が暮らす島原の家へ。しばらくして山川さんと妹、4歳の弟が腸炎を患い、弟が重篤化する。「リンゴを食べたい」としきりに言い、近所の人たちが自転車で旅館などを回って探してくれたが見つからなかった。
 「リンゴを食べたい」-。そう言いながら弟は9月22日、亡くなった。食べさせてやれなかったことを悔やんでいる。しかし、遺体を海に流していた引き揚げ船ではなく、畳の上で旅立てたことはよかったと思っている。
 山川さんは三会小、三会中、島原商業高に進み、保育士や老人ホーム職員として働いた。20歳で結婚。女の子を授かった。現在は、中学2年の孫がいる。
 孫が生まれてから、戦争が一層怖くなった。「孫が巻き込まれてはならない」。一日一日が平和で、戦争を二度としない世界であってほしいと願っている。