尊い命悼み 折り鶴2500羽 被爆者 平野さん、生前に制作 しめやかに 精霊流し

被爆者の平野さんが作った折り鶴をつるした船を運ぶ池田夫妻=長崎市富士見町

 3月末に91歳で亡くなった長崎市岩見町の被爆者、平野園子さんは、生前、ガムの包み紙で作った折り鶴が飾り付けられた精霊船(全長約1.2メートル)で親族約10人に送られた。
 被爆当時16歳。爆心地から4キロの長崎市西立神町で被爆し、姉の看病のため当時の長崎医科大付属病院(現在の長崎大学病院)に5日ほど滞在した。つらい記憶がよみがえるためか、原爆について直接語ることはほとんどなかった。
 認知症を防ぐためとして75歳ごろからガムの包み紙で折り鶴を折り始めた。大動脈解離の手術をするまで約10年間続け、45リットルのポリ袋二つが満杯になった。次女の池田ひとみさん(66)は「原爆で亡くなった多くの親戚、友人を悼んで折ったのだろう」と話す。
 ひとみさんと政司さん(69)夫妻らが船を作製。船体は平野さんが好きだった緑色で、折り鶴の一部、約2500羽をつるした。ひとみさんは「母がお世話になった病院や施設の人への感謝の気持ちと、核兵器が二度と使われないことと平和を祈る気持ちを込めて」流し場まで練り歩いた。


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