安心な大会へ全力尽くす 「コロナ禍と五輪」橋本聖子五輪相インタビュー

インタビューに答える橋本聖子五輪相

 東京五輪・パラリンピックの準備で政府の司令塔の役割を担うのがスピードスケートと自転車で夏冬計7度の五輪に出場した橋本聖子五輪相だ。五輪の日本選手団団長も3度務めた「五輪の申し子」に、来夏の東京大会開催まで1年を切った今、決意やアスリートへのメッセージを聞いた。(共同通信=長谷川大輔)

 ―水際対策や検査態勢の拡充など開催準備で政府の担う役割は大きい。

 日本だけでなく、世界中が新型コロナウイルスの終息へ結束して対策に取り組むことが第一だ。世界最高峰のアスリートに『東京に行けるんだ、行っても安心なんだ』と思ってもらえるようなメッセージをしっかりと出して、来てもらいたい。前回のリオデジャネイロ五輪の時には(ブラジルで流行した)ジカ熱を理由に参加を辞退した選手がいた。ファンが一番望むのは最高峰のアスリートが競い合う姿。選手が安心して来てもらえる大会にしたい。

 ―9月には政府主導で大会時の新型コロナ対策を検討する会議が立ち上がる。

 運営側の主役は東京都、大会組織委員会、国際オリンピック委員会(IOC)だが、この部分は国がやらないといけないという部分が当然出てくる。国がなすべきことに全力を尽くす。

橋本聖子五輪相

 ―大会組織委員会やIOCは簡素化を進めている。

 予算が膨らみ、無駄じゃないかと言われると、大会を目指す選手は『私たちは無駄なことをさせているのだろうか』と思う時があり、すごくショックだ。歓迎される大会にするために、競技数・種目数と日程を維持しつつ、どのように簡素化していくかを考えていく必要がある。一方、五輪はスポーツに限らず、芸術や文化を世界に発信する最大のチャンスでもある。これぞ4年に1度という高揚する部分も必要。あまり寂しいものにはしてもらいたくない。

 ―選手は目標が1年先延ばしになり、練習環境の制約もある。

 今回は考えられないことが起きた。ただ、これも一つの勝負だ。選手は全てをプラスに持っていくトレーニングをしていかないといけない。(スピードスケートの1991~92年シーズンは)自分はけがで全く振るわず、全日本選手権で総合11連覇を逃した。ただ、今までの経験とトレーニング方法を凝縮させて再調整し、92年アルベールビル五輪でメダルを初めて取った。何が功を奏すかは分からない。それも五輪の持つ魅力の一つだ。

1992年のアルベールビル大会の1500メートルで、日本女子初のメダルを獲得した

 ―今、自身が現役選手だったら、五輪延期決定で何を考えるか。

 もし自分だったら、どんなに最高の準備をしても、もうちょっとここをやれば良かったなというのがどの大会でもあった。足りなかったところをまた1年かけて強化できるという見直し期間になる。やり残した点を再点検できると切り替えて、その機会をものにしてほしい。困難な状況を乗り越えていく姿は、自分自身の最高のレガシー(遺産)になる。この1年間の取り組みが、大会後の人生に大きな価値のあるものになるので、プラスにしていってほしい。

 ―社会、経済に不安がある中で、開催について国民の理解をどう得るのか。

 費用を節減すべきところと、セキュリティー対策など削減してはいけないところでめりはりをつけ、できる限り経費がかからないようにする。大会には、停滞した経済が復活を遂げていくための一つの起爆剤としての価値があるということを国民に示すことも重要だ。

一時的に撤去される五輪マークのモニュメント=8月6日、東京・お台場沖(共同通信社ヘリから)

 ―各国・地域と自治体が交流するホストタウン事業はどう進めていくか。

 安心できる受け入れ態勢を築けるよう、国が支援していかないといけない部分もたくさん出てくる。今、ビデオメッセージや会員制交流サイト(SNS)で交流しているところも増えている。力を入れていきたい。

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 はしもと・せいこ 1992年アルベールビル冬季五輪のスピードスケートで銅メダル。現役時代の95年に参院議員に初当選。日本オリンピック委員会の選手強化本部長に女性で初めて起用され、五輪の日本選手団団長は3度務めた。日本スケート連盟会長なども歴任。55歳。北海道出身。

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