『東京大空襲の夜』 柴谷繁子さん えぷろん平和特集2020 #あちこちのすずさん

 昭和20年3月、20歳だった私は、現在の東京都江戸川区で両親と3人で暮らしていました。
 陸軍記念日の前夜、夜半に、いつもより激しいサイレンでとび起きました。もんぺをはき、非常袋を持って表に出ようとすると、もう家の周りは火の粉が取り巻いていました。父より一足先に母と家を出ましたが、決められていた避難所方面は、煙と炎に包まれていました。
 その時、煙の中から、警防団の人が出てきたので、どちらに逃げたらいいですか、と声を掛けたら、「自分で考えて逃げてくれ」と言われ、煙の中に消えて行かれました。後を追うように小川沿いの道を行くと、河原に出ました。非常袋をなくし、靴底も溶けていましたが、父も無事でした。
 戦後、柳谷さん八という落語家が、空襲の時は私と同じ地区に住んでいて、父親は昼は旋盤工、夜は小松川警察署の警防団だったと本に書いていました。父親から聞いた空襲の夜のことが書いてあり、前後を考えてあの夜の人と一緒だと思えます。私は今も、「自分で考えて逃げてくれ」というあのひと言に救われたと思っています。あの恐怖の夜のことを語れる人がいれば、お話してみたいです。
(長崎市・無職・95歳)

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