原宿と小泉今日子と仲間たち。丘を越えて、会いに行こう 1990年 9月21日 小泉今日子のシングル「丘を越えて」がリリースされた日

原宿の風景を切り取ったミュージックビデオ「丘を越えて」

やさしく緩やかなサックスの音色。原宿竹下通りの裏手に通る路地をスカパラ風の小泉楽団(TOKYO USO PARADISE ORCHESTRA)が練り歩く。

 丘を越えて 会いに行こう
 大好きな あの人に
 丘を越えて 会いに行こう
 スキップして 唄いながら

小泉今日子「丘を越えて」(1990年)のミュージックビデオは当時の原宿の風景を切り取りながら、キョンキョンとその仲間たちを映し出していた。エド・ツワキ、チエコ・ビューティー、JAGATARAのEBBY、TOKYO No.1 SOUL SETのビッケといった面々だ。

監督はハイパーメディアクリエイター高城剛

小泉今日子は僕たち世代にとって特別な存在だった。中森明菜、早見優、堀ちえみらと共に “花の82年組” としてデビュー。聖子ちゃんのように可愛らしかったヘアーを突然刈り上げると自身を「コイズミ」と称するようになる。それ以後、彼女が表現する世界には “遊び” が感じられるようになり、それまでにない新しいアイドル像を作り上げていった――

「丘を越えて」の撮影はセントラルアパート前に集合して始まったそうだが、出演者はただフラッと遊びに来たように集まったのだという。キョンキョンがオーバーオールに合わせて着ているニットは本人お気に入りの私服である。そのファッションは街の風景に驚くほどフィットしている。そして仲間たちとの密に溶け込んだような一体感。ハイパーメディアクリエイター高城剛が仕掛けたゲリラ撮影もまた見事だった。歌い演奏しながら原宿を練り歩くだけの演出なのだが、これをどう説明したらいいんだろう――

それはたぶん原宿という街と小泉今日子のリアル。そこへ行けば不思議と人が集まり、仲間ができるという現実。

原宿、それは不思議な出会いが生まれる街

そうだ。自分にもそういう仲間たちがいた。出会いは原宿駅から表参道へ横断歩道を渡ったところ、屋台風の飲み屋だった。

2011年の東日本大震災の直後、福島第一原発の原子炉建屋が吹き飛び放射能漏れがわかると、原宿にあった大手ショップは店を閉め、表参道✕明治通りは次第に火が消えるように静かになった。その時の人っ子ひとりいない原宿はまるで廃墟のようだった。放射性物質が気流に乗ってどこへ飛んでいっただとか、テレビからはベクレルやシーベルトという言葉がずっと流れ続けていたが、そんな不安な風が吹く中、利益など度外視で店を開け続けていたのがこの店だった。

「黒酢とりからとハイボール、いかがですかー」

行き場を失っていた客は店の灯りに集まってきた―― カリスマ美容師、シャレオツなショップ店員、競馬好きのカフェ店員、至ってフツーのビジネスマン、占い師、ローラー族、まい泉、南国酒家、雑誌編集、ライター、広告デザイナー、カメラマン、ミュージシャン、シンガー、俳優、モデル、ジモティーなど、職場や肩書き、年齢は様々だったが小さなカウンターで隣り合わせになって初めて出会い、次に同じカウンターに居合わせたときに話の続きをする。そういう出会いが生まれる空気がそこにはあった

それは、過去にはペニーレーンや Poppies のようなミュージックBAR、人によっては伝説のクラブ、ピテカントロプス・エレクトスだったりしたのだろう。性別や業種を越えて飲み、語り合い、笑い、気が付けば肩を組み、ハグをする。昨日まで見ず知らずだった人間が不思議と出会ったその日から親友のように語り合える場所がこの街のどこかに必ずあったのだ。そう、その日、そこに行くと必ず誰かがいる。そんな自分にとって大切な場所が――

小泉今日子にとっての原宿とは?

 丘を越えて 会いに行こう
 大好きな あの人に
 丘を越えて 会いに行こう
 あの笑顔に

小泉今日子にとっての80年代の原宿も、そうした私的な場所だったのだろう。『小泉今日子 原宿百景』(2010年 / スイッチ・パブリッシング)には原宿について書いたエッセイや街を背景に撮ったポートレート、彼女が原宿で生活する中で出会った様々なクリエイターたちとの関係などが綴られている。高橋靖子、宇津木えり、安西水丸、小林武史、藤原ヒロシ、スチャダラパーといった錚々たる人々だ。

スタイリスト、馬場圭介との対談では明治通りにあったオープンカフェ、オーバカナルの話が出てくる。「フラッと寄れて、自然と人が増えていくような感じが良かった…」とキョンキョンは語り、馬場氏は「待ち合わせとかせずに、そこへ行けば誰かと会えるっていうのが結構楽しかったよな」と言っていた。まさにそれこそが原宿の街が持っている特別な空気である。

自然体の “コイズミ” が詰め込まれている映像作品

その日、そこに行くと必ず誰かがいた―― 昼間、街で見かけたオシャレな子が、ある夜、クラブに行くとダンスフロアにいたりする。「この前着てたあの服、どこで買ったの?」そんな他愛のない会話や遊びが自然と仕事に生かされていく――

人生の中で一番ヤンチャな時代だったという1989年からの彼女の3年間。そんな自然体の “コイズミ” が「丘を越えて」のMVには詰め込まれていた。本人が書き下ろしたリリックと仲間たちとの楽し気な姿、その素の笑顔が原宿という街がいかに彼女にとって特別であったのかを教えてくれる。

 昨日の風が追い越すけど
 歩いて行こう
 あなたの顔見たら きっと泣いてしまう
 抱きしめて 抱きしめて 涙止まるまで

この街からセントラルアパートが無くなったときは心に穴が開いたような気持ちになった。次々と消えていく街の記憶。恐ろしく美味かった茶巾寿司も八角館の裏手にあった銭湯の煙突も今はない。シンボルとも言えるあの同潤会青山アパートや原宿の駅舎でさえ僅かに形跡を残して逝ってしまった。

あなたの大切な場所はまだありますか?――「丘を越えて」のクリップは、そんな時の刹那を感じさせてくれる宝石なのである。

カタリベ: 鎌倉屋 武士

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