『自分の薬をつくる』坂口恭平著 まだ世界にない場所へ、たどり着くための地図

 作家、画家、音楽家、陶芸家エトセトラである坂口恭平の新刊は、タイトル通り自身の薬を作るという試み。といっても研究が治験が薬事法が―という話ではないらしい。

 不思議な書き出しの本だった。冒頭、戯曲のト書きのような文章から始まる。そして舞台である多目的ホールに登場する坂口は、そこに集まった人々に「初めまして」と挨拶すると、今回の趣旨を説明した。なんでもここはワークショップの会場で、本書は実際にあったそのドキュメンタリーらしい。参加者の22人に向かってオリエンテーションとして話しながら、坂口はこんなことを伝える。

 「みなさんには今日だけ患者さんになってもらって、病院を舞台に演劇をしてもらうことになってますので」おっと、演劇!先の見えない展開に、なんだかドキドキしてきた。

 「いつも辛い」「人間関係がうまくいかない」「誰かの声がひっきりなしに頭の中で響く」「誰に対してもよく思われたいと思ってしまう」「人と比べてしまう」「好奇心がなくなる」「ふっと死にたくなる」……。それぞれが抱える「架空の」症状を口にすると、医師に扮した坂口は様々な質問を投げかける。

 その対話によって処方される「薬」がどれも斬新で、でも説得力があって、楽しいものばかりだ。例えば次の音楽アルバムを制作中だが行き詰まっているという男性に坂口は、今は新曲の制作よりも過去作った20曲の推敲はどうか、と提案する。「メジャーデビュー用の正規のアルバムを作る、というイメージで」と。「一枚のアルバムの構成を考えて、歌詞ももう一度推敲してみて、編曲もしてみて、それをスタジオ借りて、バックミュージシャン自分で集めて、きっちり作ってみたら?」「一曲、NHKの連続ドラマ小説の主題歌に抜擢されたということにして、そういうキャッチーな曲を入れてみましょう」「録音したいスタジオ見つけて予約するとか?」「自分のバンドメンバーを探すと決めて、ライブを見に行く」など、矢継ぎ早にアイデアを出す。そして坂口は「しかも……これ、実際に、実践しなくていいの」と言うのだ。つまり、実行に移すことはせずに、綿密な企画書を作成するのはどうか、という処方箋。斬新!一見すると突拍子もない提案だが、そこには彼自身が、心身のバランスを保ち、不安定さと向き合い、付き合って得た技術が詰まっているのだろう。

 今さら言うまでもないかもしれないが、坂口は2009年に双極性障害、いわゆる躁鬱病と診断された。この11年間、彼に何があったのかはわからないが、相当な苦しみと試行錯誤があったことが、本書を読んでいると伝わってくる。だって「みんな落ち込み方の個性がなさすぎる」なんて、なかなか言えることじゃなくない?「風邪を引いたら熱が出るように、元気がない時はまとめサイトを検索しちゃってる」とか、身に覚えがありすぎて震えますけど。「まとめサイトに行くな、まとまらずに生きろ」って、ぐうの音も出ませんけど。

 そんな月日を経て見つけた「自分の薬」とは、つまり自分自身を健やかな方向にむかわせるためのオーダーメイドのプロセス、ということだろう。好きなこと、好きな人を大切にして、やりたくないことはしない。夜9時に寝て朝4時に起きる。アウトプットは適当に。「自閉」を活用する。

 自分を守るための考え、行動が一貫している坂口だが、ひとつ印象的なシーンがあった。

 夢を抱くのは苦手で、「できるだけ楽して、楽しく、適当に生きていたい」と語っている坂口。しかし一人の「患者」と話すことで、20年後に実現させたいと考えているという、ある計画について語る。

 おとぎ話の結末みたいに穏やかな、文字通り夢みたいな計画だった。でもすごく具体的なのは、きっとこれまで何度も繰り返し考えてきたからだろう。苦手だという夢、しかもとびっきり壮大なやつを語るのだ。対話によって共鳴し、導かれるように。そうして坂口が語った景色は、あまりに美しくて胸を打たれる。

 まだ世界にない場所へ、たどり着くための地図みたいな一冊。2040年、私は何をしているだろう。そのはじめの一歩は、いつだって今この瞬間に踏み出せる。

(晶文社 1500円+税)=アリー・マントワネット

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