龍智江子さん死去 90歳 原爆の惨状伝える写真の少女

黒焦げになった母親の遺体のそばで、ぼうぜんと立ちすくむ龍さん=1945年8月10日、長崎市浜口町、故山端庸介氏撮影

 長崎原爆の惨状を伝える写真の少女として知られる被爆者の龍智江子(りゅう・ちえこ)さんが15日午後5時47分、心不全のため福岡県大川市の病院で死去した。90歳。自宅は大川市新田。長崎市出身。告別式は17日に営まれた。喪主は長男周二(しゅうじ)氏。

 鶴鳴女学校3年生だった15歳の時、爆心地から1キロの長崎市山里町(当時)で被爆。爆心地から300メートルも離れていない浜口町の自宅にいた母親と弟の2人が犠牲になった。原爆投下翌日の1945年8月10日、自宅跡で、黒焦げになった母親の遺体の傍らで立ちすくむ姿が旧陸軍カメラマンの故山端庸介氏によって撮影された。写真は長崎原爆資料館(平野町)に展示されているほか、市発行の長崎原爆戦災誌に掲載され、被爆の惨状を伝える一枚として広く知られている。

龍智江子さん

 被爆後は父親の故郷だった大川市に移った。約20年前から語り部活動を始め、福岡県筑後地区の小中学校などで被爆体験を伝えてきた。


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