マスク越しに訴える平和 原爆ドーム前、寂しき伝承

原爆ドーム脇で活動する寺尾さん

 新型コロナウイルス感染拡大で被爆地を訪れる人が減り、伝承者の活動機会が奪われている。被爆から75年。本来であれば国内外から多くの人が集うはずだった夏を迎えた広島・原爆ドーム前も閑散としていた。被爆体験を伝えるボランティアガイドの寺尾興弘さん(79)は「例年の2割の人もいない。寂しい節目」と嘆く。年々衰える体力と戦いながら、自らステンドグラスで作った原爆ドームの模型を手に核廃絶を訴える寺尾さんの一日を追った。(共同通信=泊宗之)

原爆ドームの模型を使い、伝承活動をする寺尾さん

 ▽現場へ

 8月初め、寺尾さんは約半年ぶりにドーム前で活動を再開した。

 感染の恐れが広がった2月に活動を休んで以来、世間の関心はコロナに集まった。原爆の話は「大きな川の流れに逆らうよう」に思え、むなしくなった。自身も慢性の肺炎を抱え、感染すれば命が危ない。だが、あの日が刻々と近づくと、いてもたってもいられず現場へと向かった。

 強烈な日差しが照りつける中、原爆ドーム脇に立つクスノキの木陰を目指した。この場所で伝承を続けて5年。久しぶりに再会したガイド仲間に温かく迎えられ、互いの近況を報告しあう。コロナで縮小する平和記念式典に出席できないこと、猛暑で体力的に厳しいこと、原爆を投下した国を知らない若者が増えていること…。「明るい話題がないね」。苦笑いしながら、資料を広げる。

原爆ドーム(手前)と広島県産業奨励館の模型

 「手に職を持て。いつか役に立つ時が来るから」という母の教えを守り、仕事の傍らステンドグラス工芸を学んだ。その技術を生かし、定年後に、原爆ドームと被爆前の「広島県産業奨励館」を制作。寺尾さんが2つの模型を並べると、さっそく小さな子どもと親たちが集まってきた。精巧に作られた縮尺100分の1の模型に感嘆の声が上がる。「原子爆弾が落とされる前は、こんな建物だったの?」。被爆前後の姿を見比べ、目を丸くする児童に寺尾さんが近づいた。マスク越しの声は通りづらい。つい寄りがちになる距離に気を配りながら、自身の人生を語り始めた。

 ▽被爆

 「まさに命拾いした。父が私たちを守ってくれたんです」。家族が仲良く並んだ当時の写真を手に、寺尾さんが振り返る。

 自宅は原爆ドームから約300メートルの場所にあった。だが、空襲が激しくなり始め、中国へ出征していた父の戦死を知らされ母は疎開を決意。母と兄、弟と1家4人で郊外へ移ったのは、原爆が落とされるわずか2週間前だった。

 あの日、強烈な爆風で爆心地から4キロ離れた疎開先の家屋も窓ガラスが割れた。飛散した破片で寺尾さんは頭部を切ったが、家族は一命を取り留めた。

 原爆投下の翌日、自宅に戻ると、一面焼け野原となっていた。異臭が鼻をつき、風が吹くたびに粉じんが目に入る。複数の遺体を横目に見ながら、瓦礫の中を何時間も歩いた。水を求め防火用の水槽に顔を突っ込んだまま息絶えた人の姿が今も忘れられない。このとき、家族全員が被爆しているなど知るよしもなかった。

当時の家族写真。左から2人目が寺尾さん

 ▽差別

 「ピカだ」「近づくな」―。終戦後、行く先々で被爆による差別を受けた。「もう学校へ行きたくない」。そう叫んで訴える寺尾さんを、母は泣きながら諭した。「悪いのは戦争。誰も恨んではいけない」。母は子どもたちを守るため、被爆を隠すようになった。

 最期まで被爆を明かさなかった母は子宮がんを患い、58歳で世を去った。これ以上隠し続けることに疑問を持った寺尾さんは、被爆者健康手帳を取得。あれから28年。「ようやく胸のつかえが取れた」。それまで近づけなかった原爆ドームに通うようになった。景色は様変わりしたが、父も見ていたと思うと「心が落ち着き、つらい時はいつも励まされた」。いつしか、ドームと父の姿が重なった。

 定年を機に、5カ月かけてドームを作った。そして、2年がかりで広島県産業奨励館を完成させた。「父と母には何一つ親孝行できなかった。せめてもの供養になれば…」

 いつのまにか、寺尾さんを囲む人が増えていた。久々の現場だったが、熱心に耳を傾ける人の表情を見ると、手応えを感じた。

自身の人生を語る寺尾さん(左)。模型は広島県産業奨励館

 ▽核廃絶を

 「生き残った被爆者の1人として、何ができるのか―」。悩んだ末、原爆ドーム前で自身の人生を語ることに行き着いた。だが、体は年々衰え、健康不安が重くのしかかる。肺炎に加えて頸椎が骨化する難病を抱えており、資料を持つ手が震えてしまう。大きい声を張るのもつらい。壊れやすい繊細なガラス模型を毎回運ぶのも一苦労だ。

それでも、新型コロナの感染状況を見極めながら、歴史が刻まれた場所で寺尾さんは訴え続ける。「核兵器は一瞬で多くの人の命を奪い、人生を狂わせる。絶対に繰り返してはならない」

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