「24時間テレビ43」日本映画界の巨匠・大林宣彦監督が妻・恭子さんと歩んだ63年

現在、日本テレビ系で放送中の「24時間テレビ43『愛は地球を救う』 」(8月22日午後6:30~23日午後8:54)。V6・井ノ原快彦、NEWS・増田貴久、Kis-My-Ft2・北山宏光、ジャニーズWEST・重岡大毅、King & Prince・岸優太をメインパーソナリティーに迎え、「動く」をテーマに東京・両国国技館からさまざまな企画を生放送。昨日22日には、歌舞伎役者の市川海老蔵が日本全国に元気を届けるために企画した、一夜限りのスペシャル歌舞伎パフォーマンス「市川海老蔵 広末涼子 柳葉敏郎が動く 失われた日本の夏、ふるさとの祭り」や、重岡が主演を務めたスペシャルヒューマンストーリー「誰も知らない志村けん -残してくれた最後のメッセージ-」を放送。さらに、「嵐にしやがれ 24時間テレビスペシャル」では「メインパーソナリティー記念館」と題し、メインパーソナリティーの人生を深掘り。また、「フライングディスク最速リレー」のギネス世界記録達成を目指し、嵐と対決を繰り広げるなど、笑いと感動の場面が次々と届けられた。

社会現象を巻き起こした映画「時をかける少女」(1983年)。これを手掛けたのが、言わずと知れた日本映画界の巨匠・大林宣彦監督だ。今年4月に82歳で旅立つ最後まで、映画を作り続けた大林監督を支え続けたのは、20歳で出会ってから愛し続けた妻・恭子さんだった。番組では、夫妻で“動き続けた”63年の愛の物語を届けた。

大林監督が恭子さんと出会ったのは大学時代。出会ってすぐに自然と「結婚しようか」と口にするほどの一目ぼれだったという。プロポーズの翌日、恭子さんは「(結婚のことは)子どもの頃から考えていたことだったから、一晩考えれば十分です」とプロポーズを承諾。デートといえば映画を見ること。出会った時から映画の話ばかりしていた。

1977年に映画監督デビューをした後、大林監督を支えるため、恭子さんは娘を連れて毎日撮影現場へと足を運び、スタッフへの食事の用意や洗濯をしていた。深夜に帰宅する大林監督への手料理も欠かさなかった。恭子さんは当時を振り返り「苦ではなかった。一緒に作品の携わることができるのは楽しかった」と語った。

また、当初CMディレクターとして世界中を飛び回っていた大林監督は、毎朝恭子さんの元にはがきが着くように送っていた。1日も欠かすことなく、どこで何をしているのかを知らせてくれるはがきを見て、恭子さんは「感動した」と明かす。

大林監督最後の監督作品となり、今年7月に映画「海辺の映画館―キネマの玉手箱」に出演し、今回ナレーションも担当した常盤貴子は、「現場が一番の治療。最後の『よーい、スタート!』は忘れられない」と振り返り、涙ぐむ。また、映画「その日のまえに」(2008年)に出演した南原清隆(ウッチャンナンチャン)は「『ナンチャン、僕ね、がんになってよかった。分からないことがだんだん分かってきた』と言っていた。(病気をなったことを)受け入れて、創作して前に進もうとしていた」と涙ながらに大林監督とのエピソードを語った。

大林監督は、病魔に侵され自分の体を支えることができなくなった時でも、「映画が終わるまでは死なんぞ。死んでる暇はないぞ。自由に自分の映画を作っていることは幸せなこと」と映画制作に対する熱い思いを吐露していた。そして「彼女との出会いが僕そのもの」だと話す大林監督の言葉を振り返り、恭子さんは「泣いちゃいます。私にとってもすべてだった」と涙ながらに口にし、夫との日々に思いをはせた。

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