JR川崎駅前の「石敢當」、設置50年 沖縄との〝絆〟

川崎駅前に立つ「石敢當」の碑=川崎市川崎区

 JR川崎駅前東口広場に、「石敢當(いしがんとう)」と書かれた人の背ほどの石碑が立つ。沖縄ではよく見かける魔よけの石碑で、米国統治下だった1959年から複数回にわたって甚大な被害をもたらした宮古島台風への川崎市民からの義援金の返礼として、宮古島から贈られたものだ。今年は、碑の設置から50年。川崎と沖縄の絆に改めて思いをはせようと28日、石碑前で「記念のつどい」が開かれる。

 川崎市と沖縄の関係は、およそ100年の歴史がある。大正時代、同市の工場地帯で働くため、大勢の沖縄出身者が市内で生活を始めたことが始まりだ。

 文化的交流も生まれた。沖縄出身者が故郷を思い、芸能文化を持ち込んだことで、市内でも根付き、広がっていった。沖縄の芸能文化は、52年には川崎市、54年には県の無形文化財に指定された。

 一方、沖縄諸島は59年9月、66年9月などと相次いで大きな台風に見舞われた。特に宮古島ではソテツの木がなぎ倒された様子が「蘇鉄地獄」とも表現された。

 窮状を知った川崎市議会は、超党派で救援を決議し市内で広く募金活動を展開。約360万円(当時の約1万ドル)が集まった。「友好の歴史があったからこそ、救援の動きが川崎に生まれた」と、同市中原区居住で郷土史に詳しい藤嶋とみ子さん(76)は説明する。集まった善意は、当時の青木喜市市議会議長から、琉球政府東京事務所に贈呈された。

 石碑は、こうした支援への返礼として、宮古島から贈られた。

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